室町前期の歌人。歌僧頓阿(とんあ)の孫堯尋(ぎょうじん)の子。通称は常光院。晩年は法印権大僧都(ごんのだいそうず)に叙せられ、広く公武僧の歌人と交わり、温雅で伝統的な歌風を主張した二条派の代表的な歌人として、冷泉(れいぜい)派の正徹(しょうてつ)と鋭く対立した。その間の事情は『東野州聞書(とうやしゅうききがき)』にもうかがえる。最後の勅撰(ちょくせん)集『新続古今集(しんしょくこきんしゅう)』の撰進に際しては、和歌所開闔(かいこう)(事務主事)となり、撰者飛鳥井雅世(あすかいまさよ)を助けた。和歌は『新続古今集』入集(にっしゅう)の7首のほか、年次(ねんじ)詠草の『慕風愚吟集(ぼふうぐぎんしゅう)』、『堯孝法印日記』がある。従来、家集とされた『堯孝法印集』は、他人の歌が混入している他撰集である。ほかに、歌学書『桂明抄(けいめいしょう)』や紀行『伊勢(いせ)紀行』『覧富士記(らんふじき)』などがある。
ふけにけり置きそふ露も玉だれのこずのおほ野のよはの月影
[稲田利徳]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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