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東常縁 とうつねより

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

東常縁
とうつねより

[生]応永8(1401)
[没]文明16(1484)頃
室町時代の武将,歌人,古典学者。父は益之 (素明) 。明応3 (1494) 年没ともいう。下野守となり,東野州と号した。法名,素伝。頓阿の曾孫堯孝に入門,二条家の歌学を身につけた。家集『常縁集』『東常縁詠草』がある。

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デジタル大辞泉の解説

とう‐つねより【東常縁】

[1401~1484ころ]室町中期の歌人。美濃国郡上(ぐじょう)の領主。東野州(やしゅう)と称した。法名、素伝。尭孝・正徹に歌を学ぶ。古今集の奥義をきわめ、弟子の宗祇に伝えたのが古今伝授の初めとされる。著「東野州聞書」「東野州家集」など。

とう‐の‐つねより【東常縁】

とうつねより

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百科事典マイペディアの解説

東常縁【とうのつねより】

室町時代の武士,歌人。生没年不詳。桓武平氏の出身で美濃国郡上領主。1471年に2度にわたって宗祇に《古今和歌集》を講義(両度聞書),〈古今伝授〉の最初の例となった。
→関連項目切紙

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

東常縁 とう-つねより

1401-? 室町時代の武将,歌人。
応永8年生まれ。東益之(ますゆき)の子。兄の東氏数(うじかず)の養子となり,美濃(みの)(岐阜県)篠脇城主。二条派の尭孝(ぎょうこう)らに歌学をまなぶ。文明3年宗祇(そうぎ)に「古今和歌集」に関する秘事を口伝(古今伝授始まり)。文明16年(1484)ごろ84歳で死去とも,明応3年(1494)4月18日94歳で死去ともいう。通称は東野州。法名は素伝。著作に「東野州聞書」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

東常縁

没年:文明16頃(1484)
生年:生年不詳
室町時代の武将,歌人。下野守益之の子。法号は素伝。東野州とも呼ばれた。異母兄の氏数の養子となって東家を嗣ぎ,従五位下下野守に至る。宝徳1(1449)年から,二条派の尭孝や,清巌正徹 に和歌の指導を受け,翌2年に尭孝に正式に入門。康正1(1455)年関東に騒乱が生じたため,室町幕府の命によって東下,諸所を転戦した。その後の動向はしばらく不明だが,応仁2(1468)年9月,東家の領地美濃国郡上が美濃守護代斎藤妙椿 により横領された際には,武蔵国にあり,「あるがうちにかかる世をしも見たりけり人の昔のなほも恋しき」という嘆きの歌を詠じた。この歌がきっかけになって,翌文明1(1469)年常縁と妙椿の間に和歌の贈答が行われ,常縁が上京,所領が返還されるに至ったと『鎌倉大草紙』は伝える。同3年には2度にわたって飯尾宗祇『古今和歌集』を講義,その後も『古今和歌集』に関する説を宗祇に伝え,古今伝授の創始者となった。その所説は,『古今和歌集両度聞書』などによって知られる。歌学者としては,ほかに歌学書『東野州聞書』,注釈書『新古今和歌集聞書』『東野州拾唾』などの著作を残している。また,家集『常縁集』は,「山川や岩こす波の音しるく晴れぬ高嶺の五月雨のころ」のように,二条派の歌人らしい平明な和歌を多く収めている。<参考文献>河村定芳『東常縁』,井上宗雄『改定新版 中世歌壇史の研究/室町前期』

(加藤睦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

とうのつねより【東常縁】

1401?‐84ころ(応永8?‐文明16ころ)
室町中期の武将,歌人,歌学者。本姓は平。別称は東野州(とうやしゆう)。法号は素伝。美濃国(岐阜県)の人。代々二条派の歌人であった東家に伝わる歌学を学び,さらに頓阿の流れをくむ尭孝法印に師事して,当時の二条派歌学を集成した。1471年に連歌師宗祇に《古今和歌集》を講釈し,秘説を相伝した。いわゆる古今伝授であり,宗祇が講釈の聞書を整理したのが《古今和歌集両度聞書》である。そのほか,《新古今和歌集》の注釈が細川幽斎により加筆され《新古今和歌集新鈔》となるなど,その説は二条派の注釈書に継承された。

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大辞林 第三版の解説

とうつねより【東常縁】

1401~1494) 室町中期の歌人・武将。東野州とも称する。和歌を尭孝・正徹に学ぶ。古今集を究め、これを門人宗祇に講じたのが「古今伝授」の初めとされる。歌学書に「東野州聞書」がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東常縁
とうつねより

生没年未詳。室町前期の武家歌人。通説は「1401―94年」だが、実際の没年は1484年(文明16)ごろ。享年も疑問があり不明というほかはない。法名素伝。従(じゅ)五位下下野守(しもつけのかみ)。東野州(とうやしゅう)と称せられた。益之(ますゆき)の子。美濃(みの)国郡上(ぐじょう)の領主。1449年(宝徳1)から二条派の堯孝(ぎょうこう)、冷泉(れいぜい)派の正徹(しょうてつ)に歌を学び、翌年正式に堯孝に入門。このころの歌話を書き留めたのが『東野州聞書』。のち幕府の命で東国に転戦、晩年は美濃に帰った。篤学で古典に詳しく、71年宗祇(そうぎ)に『古今集』、百人一首などを講じた。『古今集』の秘説を切紙(きりがみ)に記して伝えたが、これが古今伝授(こきんでんじゅ)の初めとして後世重視された。ただし、当時の歌壇で大物と目されてはいず、その死後、宗祇が己(おのれ)の権威づけのため宣伝して、著名になったとみられる。なお『伊勢(いせ)物語』『新古今集』や『拾遺愚草(しゅういぐそう)』などの講説も存する。家集に『東野州家集』がある。[井上宗雄]
『井上宗雄著『中世歌壇史の研究 室町前期』(1961・風間書房)』

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世界大百科事典内の東常縁の言及

【古今伝受(古今伝授)】より

…《古今和歌集》は和歌の規範とされていたため早くからその解釈に説が分かれ,六条家や御子左家(みこひだりけ)など歌道の家々には,それぞれの解釈が秘伝として伝えられていた。室町時代に入って二条家の末流である東常縁(とうのつねより)が,東家に伝わる秘伝のほかに頓阿の流れをくむ尭孝の秘伝をあわせて,いわゆる古今伝受の原型をつくった。常縁はこれを連歌師の飯尾宗祇に相伝し,以後この系統が古今伝受の正当とみなされ尊重されてゆく。…

【下総国】より

…上杉氏は胤直の弟胤賢の子実胤・自胤(よりたね)を助けて市川城に拠らせた。一方,千葉六党の一たる東氏は承久の乱後美濃国郡上(ぐじよう)郡山田荘を本拠としたが,京都在住の東常縁(つねより)が将軍足利義政より御教書を受けて下総に下向し,馬加城を攻め,康胤を上総八幡(市原市)に追い,翌年康胤は敗死した。一方,成氏の兵により市川城を追われた実胤は武蔵国石浜城(東京都台東区),自胤は赤塚城(東京都板橋区)に拠り,実胤が出家したため,自胤が武蔵千葉介を継承,康胤の系統に継承された下総千葉介と対立した。…

【東氏】より

…宝治合戦(1247)には大須賀胤氏とともに一族の千葉秀胤を討滅。胤行の子孫にも歴代歌人が輩出しているが,室町時代に出た東常縁(とうのつねより)が特に有名である。子孫は近世には遠藤氏を名のり,慶隆のとき徳川氏に属し,関ヶ原の戦の勲功により美濃国郡上郡八幡城主となり,2万7000石を賜領した。…

【東野州聞書】より

…室町時代の歌論書。東常縁(とうのつねより)著。成立を示す奥書などはないが,記事に付された年月日から,1456年(康正2)ころ成立したと推定される。…

【大和[町]】より

…中世は山田荘に含まれ,1221年(承久3)下総国千葉氏の一族東(とう)氏が新補地頭に任命され,以後1559年(永禄2)遠藤氏に滅ぼされるまで東氏の支配下にあった。東氏は代々歌道の秘伝を伝え,室町時代には東常縁(とうのつねより)が居城の篠脇(ささわき)城で宗祇に古今伝受をしている。江戸時代は村は郡上藩に属した。…

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