朝日日本歴史人物事典 「清巌正徹」の解説
清巌正徹
生年:永徳1/弘和1(1381)
室町時代の臨済宗の僧,歌人。備中(岡山県)小田郡の人。東福寺の書記をしていたことから徹書記とも呼ばれ,自ら招月菴とも号した。冷泉派の和歌に通じ,二条派の尭孝法印と共に室町期の京都歌壇の代表的人物とされる。現存する和歌は,『草根集』15巻に集録される1万1000首余をはじめ,2万首余にのぼる。『新古今和歌集』の藤原定家に傾倒した,幽玄で象徴的,幻想的な作風を特徴としている。神戸山城主小松康清の次男として生まれ,幼名を尊命丸といった。10歳のころに京都に上り冷泉家の歌会に出席,これより今川了俊に師事して和歌を学び,その才を現した。父の死を契機として,応永21(1414)年34歳にして東福寺で出家,聖一派栗棘門派の象先会玄の法を嗣ぎ,書記を勤めた。のち美濃(岐阜県),尾張(愛知県)を行脚,紀行文『なぐさめ草』を著す。帰して春日西洞院や今熊野に草庵を結び,公家や武士をはじめ,三井寺,清水寺などの僧侶や連歌師らと広く交渉を持った。また,正広,正韵など歌道の弟子を多く輩出,その一門は熊野で栄えたという。和歌のほか古典にも精通し,将軍足利義政に『源氏物語』全巻を講義,『一滴集』という注釈書も選述している。また,その書写にも力を注ぎ,『伊勢物語』『拾遺愚草』『徒然草』など,清巌の手になる多くの写本が伝存している。他に歌論書の『正徹物語』がある。<参考文献>稲田利徳『正徹の研究』
(石井清純)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報