尾太鉱山(読み)おつぷこうざん

日本歴史地名大系 「尾太鉱山」の解説

尾太鉱山
おつぷこうざん

[現在地名]西目屋村砂子瀬

北流する湯ノ沢ゆのさわ川上流の両岸、尾太岳(一〇八三・四メートル)中腹から山麓一帯に分布する銀・銅・鉛山などの総称。八光・地竹ノ沢・滝ノ沢・朝日沢・ほった倉・影ノ沢の各鉱山を含み、昭和二五年(一九五〇)頃には一七鉱区二七鉱山があった。

当山は大同二年(八〇七)に発見されたと伝え、開発の歴史は古いが確かなことは不詳。銀の採掘を開始したのは慶安三年(一六五〇)(津軽一統志)、承応二年(一六五三)八月には三代藩主津軽信義が視察しており(津軽編覧日記)、それ以前から栄えていたと思われる。延宝三年(一六七五)銅・鉛を産するようになり、新たに山奉行を採掘の監督に当たらせている。

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最新 地学事典 「尾太鉱山」の解説

おっぷこうざん
尾太鉱山

Oppu mine

青森県中津軽郡西目屋村にあったCu・Pb・Znの鉱脈鉱床。中・古生層とこれを貫く花崗閃緑岩,これを覆う中新世の凝灰岩類からなる。主脈の尾太本は走向N70°E,走向延長1.5km,傾斜延長800m,平均脈幅1.5m,傾斜30°S。鉱石鉱物は黄銅鉱・方鉛鉱・閃亜鉛鉱黄鉄鉱脈石鉱物石英に緑泥石・菱マンガン鉱方解石随伴。母岩の変質はセリサイト化・緑泥石化。807年発見。1978年閉山。1954~76年の産出粗鉱量約440万t, 品位Cu0.58%,Pb1.47%,Zn3.31%。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「尾太鉱山」の意味・わかりやすい解説

尾太鉱山
おっぷこうざん

青森県南西部、中津軽(なかつがる)郡西目屋村(にしめやむら)にあった鉱山。白神(しらかみ)山地の尾太岳北麓(ほくろく)、湯ノ沢川の流域に鉱床がある。807年(大同2)の発見といい、津軽藩政期には藩営などで銅、銀、鉛などを採掘したが、明治以降は稼行、休山を繰り返した。1952年(昭和27)からは近代設備により銅、鉛、亜鉛硫化鉄を産出し、最盛時には従業員約350人を数えたが、オイル・ショックなどの影響で1978年閉山した。

横山 弘]

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世界大百科事典(旧版)内の尾太鉱山の言及

【西目屋[村]】より

…薪炭の供給地でもあったが,現在は稲作とリンゴ栽培が中心。尾太(おつぷ)鉱山は明和年間(1764‐72)に最盛期を迎えたが,明治以降は休山を繰り返した。第2次大戦後再開発され,銅,亜鉛,鉛などの鉱山として活況を呈したが,1978年閉山した。…

※「尾太鉱山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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