山中長俊(読み)やまなかながとし

改訂新版 世界大百科事典 「山中長俊」の意味・わかりやすい解説

山中長俊 (やまなかながとし)
生没年:1547-1607(天文16-慶長12)

安土桃山時代武将。近江甲賀の人。六角義賢(承禎)の臣で,六角氏没落後も最後まで義賢に従ったという。のち織田信長に仕え柴田勝家に属し家老,3000石。勝家滅亡後,丹羽長秀に仕え,のち豊臣秀吉出仕右筆(ゆうひつ)として諸事を奉行。1593年(文禄2)ごろ豊臣直領の越前北袋銀山の代官筑前の直領代官。同年従五位下山城守。95年1万石。関ヶ原の戦では西軍に属して改易され,小禄で徳川氏に仕えた。《中古治乱記》の著者。
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朝日日本歴史人物事典 「山中長俊」の解説

山中長俊

没年:慶長12.12.24(1608.2.10)
生年天文16(1547)
戦国時代の武将。山中氏は近江(滋賀県)甲賀郡山中村,柏木御厨本拠とする室町幕府御家人で,細川晴元のもと摂津闕郡の守護代であった長俊の父は,晴元の没落により近江六角氏の家臣となったと思われる。天正1(1573)年,織田信長に攻められ石部城に籠城した六角承禎(義賢)を信楽に脱出させ,その後も権勢の衰えた六角氏に従おうとする長俊を思いやり,承禎は強いてこれに暇を出した。柴田勝家,丹羽長秀に仕えたのち豊臣秀吉に召し出され,奏者,右筆を務める。文禄2(1593)年山城守。越前北袋銀山などの代官となり,同4年1万石を与えられた。秀吉の命で『中古日本治乱記』を著す。関ケ原の戦では石田三成方にあったが,のちに許され徳川家康の御咄衆となった。<参考文献>桑田忠親『豊臣秀吉の研究』

(石田晴男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山中長俊」の解説

山中長俊 やまなか-ながとし

1547-1608* 織豊-江戸時代前期の武将。
天文(てんぶん)16年生まれ。六角義賢,柴田勝家,丹羽(にわ)長秀につかえたのち,豊臣秀吉の右筆(ゆうひつ)となり「中古日本治乱記」をあらわす。文禄(ぶんろく)4年1万石をあたえられる。関ケ原の戦いで西軍に属したが,ゆるされて徳川家康につかえた。慶長12年12月24日死去。61歳。

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