山倉村(読み)やまくらむら

日本歴史地名大系 「山倉村」の解説

山倉村
やまくらむら

[現在地名]山田町山倉

大角おおとがり村の西、栗山くりやま川支流の水源地付近の丘陵上に位置する。南西は南玉造みなみたまつくり(現多古町)。中世は千田ちだ庄に属したとみられ、在地領主として千葉氏系の山倉氏が知られる。神代本千葉系図は匝瑳系飯高氏の一流に山倉氏を載せ、兵衛次郎泰高・又次郎胤泰・彦次郎宗泰と継いでいる。年月日未詳の某書状(金沢文庫文書)に山倉殿とみえ、山倉氏らの軍勢香取から徐々に撤退を余儀なくされている。殿内とのうちには山倉砦があり、土塁に囲まれた単郭方形の遺構が残る。慶長一五年(一六一〇)長岡ながおか浅間せんげん大明神(現稲葉山神社)本社建立の棟札に寄進村の一として村名がみえる。


山倉村
やまぐらむら

[現在地名]笹神村山倉村

東は高関たかせき村、西は関口新せきぐちしん村に接し、村内を折居おりい川が貫流する。正保国絵図に四三〇石余とあり、村上藩領であった。寛文一三年(一六七三)の組々村数并高付大庄屋付(大滝家文書)によれば笹岡組に属し、貞享元年(一六八四)郷村高辻帳には高二三五石七斗とある。宝永四年(一七〇七)頃の元笹岡組御巡見御案内帳(渡辺家文書)によれば高二八五石余・田畑反別二三町一反余、家数二六、男六六・女七二。


山倉村
やまくらむら

[現在地名]庄内町山倉

庄内川上流(入水川)に位置し、北は綱分つなわけ村。東の豊前国田川郡見立みたて(現田川市)との境にせきの山があり、山を越える新道は豊前と筑前を結ぶ(続風土記拾遺)。小早川時代の指出前之帳では山倉村の田七町三反余(分米六九石余)・畠八反余(分大豆四石余)。慶長七年(一六〇二)の検地高七四石余、大豆六石余(慶長石高帳)


山倉村
やまくらむら

[現在地名]市原市山倉

有木ありき村の北に位置する。「本土寺過去帳」に寛正六年(一四六五)四月山倉の高城雅楽助が船橋陣で討死したとある。文禄三年(一五九四)上総国村高帳に山蔵村とみえ、高三二七石。正保国絵図では高三二五石余。元禄郷帳では高三五九石余。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では高三三六石余で家数五三、幕府領と旗本多田二氏の相給。天保一四年(一八四三)より一部が鶴牧藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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