20世紀日本人名事典 「山口達太郎」の解説
山口 達太郎
ヤマグチ タツタロウ
- 生年
- 安政5年6月9日(1858年)
- 没年
- 大正9(1920)年8月9日
- 出生地
- 越後国刈羽郡横沢村(新潟県村上市)
- 学歴〔年〕
- 慶応義塾〔明治18年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 藍綬褒章
- 経歴
- 越後横沢村(新潟県村上市)の庄屋・山口権三郎の長男に生まれ、漢学を修める。明治18年慶応義塾を卒業して帰郷し父を助けて石油業に従事する。35年父の死去に伴い父が設立した日本石油の常務となる。以来長年に渡って経営に当たり、同社の発展に業績を残した。また新潟鉄工所、長岡銀行、北越水力電気、北越製紙、東京山口銀行などを創設し社長・頭取を務め、育英事業にも貢献した。柏崎銀行頭取、新潟農工銀行頭取も歴任。37年衆院議員(憲政本党)に当選1回。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報