山名時義(読み)やまな・ときよし

朝日日本歴史人物事典 「山名時義」の解説

山名時義

没年:康応1/元中6.5.4(1389.5.29)
生年貞和2/正平1(1346)
南北朝時代の武将。時氏の第5子。弾正少弼,伊予守。父時氏に従って各地を転戦し,貞治2/正平18(1363)年秋,時氏が室町幕府に帰参した折り,父の名代として兄氏冬と共に上洛。永和1/天授1(1375)年4月には侍所頭人に就任。同年7月ごろ,家督師義病弱のため山名氏惣領但馬,伯耆守護職を譲られた。康暦政変(1379)後,備後,隠岐守護職をも与えられ,山名分国は空前の12カ国に達し,六分一殿と称された。その没後,将軍足利義満による山名氏の分国削減策が発動され,ついには明徳の乱(1391)に至った。

(今谷明)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山名時義」の解説

山名時義 やまな-ときよし

1346-1389 南北朝時代の武将。
貞和(じょうわ)2=正平(しょうへい)元年生まれ。山名時氏の子。永和元=天授元年室町幕府侍所頭人となり,2年長兄山名師義(もろよし)の死去で山名惣領家をつぐ。康暦(こうりゃく)元年ごろ但馬(たじま),備後(びんご),伯耆(ほうき),隠岐(おき)の守護をかねる。一族が全国の6分の1にあたる12ヵ国の守護職をしめたため,六分一殿とよばれた。康応元=元中6年5月4日死去。44歳。初名は時幸。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山名時義」の意味・わかりやすい解説

山名時義
やまなときよし

[生]正平1=貞和2(1346)
[没]元中6=康応1(1389).5.4.
南北朝時代の武将。但馬国,備後国守護。時氏の子。持豊 (宗全) の祖父。兄師義のあと山名の惣領となった時義と,庶子氏清,満幸らとの間に不和が生じ,時義の死後,山名一門が互いに交戦する事態となり,山陰の強豪山名氏の勢力は大きく削減された (→明徳の乱 ) 。

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世界大百科事典(旧版)内の山名時義の言及

【備後国】より

…貞広が筑後山崎において戦死すると,その遺跡は毛利広世に譲られた。康暦の政変(1379)後,山名時義が備後守護に補せられ,89年(元中6∥康応1)厳島(いつくしま)参詣の帰途の足利義満を,時義父子は尾道の天寧(てんねい)寺に迎えて歓待した。同年5月病死した時義の跡には同族の義熙(よしひろ)が任じられた。…

【山名氏清】より

…南北朝時代の武将。時氏の第4子。丹波・和泉守護。時氏没後,兄の師義が家督を継ぐが,師義も死没して弟時義が惣領となる。1389年(元中6∥康応1)時義が没すると,将軍足利義満は俗に〈六分一衆〉と呼ばれるほど強大化した山名氏の内部分裂を画策し,氏清が生前の時義と不和であったのを利用して,まず氏清,満幸(氏清の女婿)に命じて時義の子時熙(ときひろ),氏幸を討たせ,時熙の分国但馬を氏清に与えるなどした。時熙らは備後に逃れた。…

※「山名時義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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