山本孝(読み)ヤマモト タカシ

20世紀日本人名事典 「山本孝」の解説

山本 孝
ヤマモト タカシ

昭和期の画商 東京画廊創設者;元・日本洋画商協同組合理事長。



生年
大正9(1920)年3月12日

没年
昭和63(1988)年6月9日

出生地
新潟県村上市

経歴
古美術商・平山堂で修業後、昭和23年独立して数寄屋橋画廊を創設。25年並木通りに移り東京画廊と改称。33年の渡欧以来、前衛美術に転じ、岡本太郎桂ゆき、前田常作らを扱い、フンデルトワッサー、イブ・クライン、ヘンドリックスらの外国作家を次々と紹介した。企画画廊の草分け的存在で、現代画商のパイオニアとして知られた。53〜60年日本洋画商協同組合理事長。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山本孝」の解説

山本孝(2) やまもと-たかし

1936-2012 昭和後期-平成時代の能楽大鼓(おおつづみ)方。
昭和11年9月18日生まれ。大倉流。父の山本敬一郎(大倉流)および亀井俊雄(葛野(かどの)流)に大鼓を学ぶ。昭和25年「舞囃子・屋島」で初舞台。53年日本能楽会会員(重要無形文化財総合指定保持者)。平成7年「半蔀(はじとみ)」で大阪文化祭賞。13年観世寿夫記念法政大学能楽賞。23年卓越した演技による近年の舞台成果及び後進の指導など能楽の振興発展に尽くした業績にたいし芸術院賞。日本能楽会理事をつとめた。平成24年10月9日死去。76歳。大阪府出身。伊丹高中退。

山本孝 やまもと-たかし

1920-1988 昭和時代の画商。
大正9年3月12日生まれ。古美術商につとめ,戦後独立して数寄屋橋画廊を創設,のち東京画廊と改称する。斎藤義重展を機に前衛美術を専門とし,企画展をひらいて内外の作家を紹介した。昭和63年6月9日死去。68歳。新潟県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「山本孝」の解説

山本 孝 (やまもと たかし)

生年月日:1920年3月12日
昭和時代の画商。東京画廊創設者
1988年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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