山本庄(読み)やまもとのしよう

日本歴史地名大系 「山本庄」の解説

山本庄
やまもとのしよう

旧山本郡域の現植木うえき町および鹿央かおう町の南部(旧山内村)を含む地域に存在したと思われる王家領の郡名庄。

〔成立と伝領〕

安元二年(一一七六)二月日の八条院領目録(国立公文書館蔵山科家古文書)に、蓮華心れんげしん院御庄として荘名がみえる。建久一〇年(一一九九)三月には「山本南庄下司宗形氏綱」の存在が知られ(同月一五日「山本南庄下司宗形氏綱田地売渡状」詫摩文書)、すでに南庄・北庄が区別されている(「事蹟通考」「国誌」は東庄・西庄に分つが、中世には東西の区分はみられない)。また観応元年(一三五〇)八月一三日の久我長通譲状(久我家文書)には、「遠国家領」の一つとして「肥後国山本庄北庄・南庄・□□二田庄・近年□□」とあり、当時少なくとも南北両庄のほかに二田ふたた(近世の二田村につながる)といわれる部分のあったことが知られる。蓮華心院は鳥羽院皇女の八条女院子内親王の京都ならびヶ丘の山荘「仁和寺の常盤殿」(「平家物語」巻七)を寺としたもので、八条院領は父の鳥羽院と母の美福門院から譲られた広大な所領群であるから、当庄もおそらく本来は鳥羽院領として成立したものと思われる。嘉元四年(一三〇六)六月一二日の昭慶門院御領目録(竹内文平氏所蔵文書)にも同じく蓮華心院領としてみえるので、本家職は八条院領群の一つとして大覚寺統に伝えられたものとみられる。


山本庄
やまもとのしよう

平安末期から室町時代に存在した庄園。猪名いな川と武庫むこ川に挟まれた現在の山本地区を遺称とする。別に山本村の村名もみられる。平安末期以来の摂関家領、鎌倉以降の松尾まつお(現京都市西京区)領が史料にみえる。保元元年(一一五六)と考えられる一二月八日付法橋信慶書状(兵範記裏文書)東北とうほく(現京都市上京区)領として山本御園が記され、太政官より提出が命じられた当庄の本公験について東北院執行信慶は知らないと答えている。長寛三年(一一六五)三月日の法華堂領摂津国呉庭庄解(同文書)によると、隣接する呉庭くれは(現大阪府池田市)の住人が多年耕作してきた山本庄内一町八段田畠を下司永仁が押妨したことを摂関家政所に訴えている。また呉庭庄側の主張によれば、当庄は一二八町五段三〇〇歩という。さらに嘉元三年(一三〇五)四月頃および暦応五年(一三四二)正月の摂渡庄目録(ともに九条家文書)に東北院領として摂津国「山本庄雑役免 年貢(檜)皮二百井」とみえ、嘉元三年には頼房朝臣、暦応五年には若狭守左衛門入道という預所とみられる人名が記されている。なお東北院領は上東門院彰子の持仏堂であった東北院を名目上の本家として、代々の摂関に継承される摂渡領を構成していた。

一方、治承元年(一一七七)六月二八日の藤原清通沽却状案(松尾神社文書)などによれば、左近衛権中将清通(経通とする史料もある)が相伝の私領である摂津国川辺かわべ郡山本庄の田畠山林を松尾社の前神主相頼に能米二千三〇〇石で売寄進している。


山本庄
やまもとのしよう

鯖江市の北部に位置し、水落みずおち北野きたの小黒こぐろを含む地域。寛喜元年(一二二九)一一月二六日付の将軍家袖判安堵下文(円覚寺文書)に越前国山本庄の名がみえ、その預所職・地頭職が、坊城女房の申請により有須河ありすがわ(有栖川清浄寿院)領となっている。しかし永仁六年(一二九八)一〇月一七日付の北条貞時袖判下知状(同文書)

<資料は省略されています>

とあり、堂領は没収され「人給」となった。その堂領のうち山本庄は「円覚寺造畢以後、同可返付」とみえるように、鎌倉円覚えんがく寺造立料所として同寺に寄付されることになる。寄付の時点は正和四年(一三一五)一二月二四日付の円覚寺文書目録(同文書)によれば、弘安九年(一二八六)二月四日であった。


山本庄
やまもとのしよう

古代の苅田かりた郡山本郷(和名抄)の郷名をつぐ。庄域は不明であるが、建長八年(一二五六)八月二九日の柞田庄四至示注文(続左丞抄)に、示四本のうち艮角の境に山本郷があり、つじを中心とする一帯に推定される。山城石清水いわしみず八幡宮観音堂領。保延三年(一一三七)四月日の光清・任清連署譲状案(石清水文書)に「山本塩屋」とみえ、寒川さんがわ鴨部かべ(現大川郡志度町)などとともに、鳥羽院女房美濃局(石清水八幡宮検校光清の娘)が生んだ六宮(のちの道恵法親王)の安泰を祈るため、八幡宮内に建てられた観音堂の堂領に相折して充てられ、残りの年貢は六宮に進上するものとされた。


山本庄
やまもとのしよう

高麗こま郡に所在した平安時代の庄園。比定地未詳。貞観一四年(八七二)三月九日の貞観寺田地目録帳(仁和寺文書)に「武蔵国庄三処」として高麗郡の「山本庄」とみえ、ほかに多摩郡弓削ゆげ庄・入間郡広瀬ひろせ庄をあげる。当庄の庄地は九町七段三〇〇歩、うち熟田二町二段二六〇歩・荒七町五段四〇歩。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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