山田かまち(読み)ヤマダ カマチ

20世紀日本人名事典 「山田かまち」の解説

山田 かまち
ヤマダ カマチ

昭和期の画家



生年
昭和35(1960)年7月21日

没年
昭和52(1977)年8月10日

出生地
群馬県高崎市赤坂町

経歴
昭和52年17歳の夏に群馬県高崎市の自宅でエレキギターの練習中に感電死と見られる事故で死亡。小学生時代から死ぬまでに描き遺した千枚近い絵やデッサンに出合った画廊経営者の広瀬毅郎がその表現に打たれ、平成4年2月に高崎市・観音山麓の画廊の隣に個人美術館、山田かまち水彩デッサン美術館を開く。小、中学時代に同級生だったロック歌手・氷室京介などに紹介されたことから全国の若者の関心を集め、週末になると多くの若者が訪れる場所となる。4年12月なだいなだ編「悩みはイバラのようにふりそそぐ―山田かまち詩画集」が出版され、5年4月には両親によって「17歳のポケット」が刊行された。15年その生涯を映画化した「KAMACHI」(望月六郎監督)が公開される。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田かまち」の解説

山田かまち やまだ-かまち

1960-1977 昭和時代後期の画家。
昭和35年7月21日生まれ。小さいころより,怪獣動物の絵をえがき,詩をかく。群馬県立高崎高在学中の昭和52年8月10日エレキギターの練習中に感電死。17歳。おおくの水彩画,デッサン,詩などがのこされた。平成4年山田かまち水彩デッサン美術館が生地高崎市に開館無名少年が全国に知られることになり,詩画集や日記などが刊行された。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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