山県勇三郎(読み)ヤマガタ ユウザブロウ

20世紀日本人名事典 「山県勇三郎」の解説

山県 勇三郎
ヤマガタ ユウザブロウ

明治・大正期の実業家



生年
万延1年(1860年)

没年
大正13(1924)年2月25日

出生地
肥前国平戸(長崎県平戸市)

旧姓(旧名)
中村

経歴
父は肥前平戸藩の勘定奉行。21歳のとき北海道根室に渡り、海産物業を営んで基礎を固め、のちには漁業海運牧場鉱山・木材工業など幅広く事業を展開。全国各地に支店を置くまでに成長し、根室実習学校の開設や「根室日報」「根室毎日新聞」など新聞経営も行った。日露戦争時には兵站薪炭の補給を無償で行うが、そのために商店の財政が危機に瀕し、41年国内の経営を兄弟に任せ、新天地を求めてブラジルのリオ州マカエに移住。ここで5000町歩の土地を購入し、大規模農場と酒造業を経営、次第に漁業や製塩業に進出した。またブラジル初の水産学校を開き、のちには造船業の経営や大学の開設をも志したが果たせなかった。イギリスの植民地主義者セシル・ローズに範をとった快男児で、その生き方は若い日本人移民たちに大きな影響を与えた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「山県勇三郎」の解説

山県勇三郎

没年:大正13.2.25(1924)
生年:万延1(1860)
明治初期,開拓期北海道の実業家。のちブラジルでも活躍。セシル・ローズを範とした国士的風雲児。平戸藩勘定奉行の子。21歳で根室へ行き,海産物商で力をつけ,鰊の相場で一拳に財を築く。漁業,海運業,牧場経営,鉱山業,木材工業へと事業を拡張,山県商店は全国に支店を置いた。根室実習学校,『小樽日報』『根室毎日新聞』を創設経営した。日露戦争では無報酬で兵站輸送をなし,冬期には木炭を買い占めて戦地に送った。戦時の無理から財政危機に陥ったとき,残務を兄弟に任せて明治41(1908)年ブラジルへ移住。リオ州マカエに5000町歩(約4958ha)を購入,米作,酒造業から始めて漁業に進出,塩田をも経営した。ささやかだがブラジル初の水産学校を創設。造船業・大学開設を企てたが挫折した。日本の躍進には海外への企業進出が不可欠だとする信念を生涯貫いた。豪放磊落で,コーヒー農場労働者主体の若い日本移民に多大の感化を与えた。<参考文献>江田霞『山県勇三郎』

(前山隆)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山県勇三郎」の解説

山県勇三郎 やまがた-ゆうざぶろう

1860-1924 明治-大正時代の海外移住者。
万延元年生まれ。北海道で漁業,牧畜業,鉱山業などを幅広く経営。明治42年ブラジルにわたり,大規模な農場経営をおこなう。日本人のブラジル移民を政府にうったえ,推進した。大正13年2月25日同地で死去。65歳。肥前平戸(長崎県)出身。本姓は中村。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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