日本大百科全書(ニッポニカ) 「山際淳司」の意味・わかりやすい解説
山際淳司
やまぎわじゅんじ
(1948―1995)
ノンフィクション作家、小説家。神奈川県逗子(ずし)市生まれ。本名犬塚進。中央大学法学部を卒業後、文筆活動を始める。1979年(昭和54)、文芸春秋『Number』誌の創刊準備室にフリー編集者として参加。翌1980年、同誌創刊号にノンフィクション「江夏の21球」を発表、ノンフィクション作家としてデビューする。このときまで山際はスポーツ・ノンフィクションを書いたことがなかった。題材は前年のプロ野球日本シリーズ最終戦最終回。江夏豊(1948― )投手がどのように無死満塁をしのいだか、その駆け引きを描いたもの。江夏だけでなく、広島、近鉄両チームの選手や監督らに細かくインタビューし、再構成した。山際の登場によって、それまで「汗」と「涙」、「努力」と「根性」に還元されがちだった日本のスポーツ・ノンフィクションが変わった。テープレコーダーやビデオを駆使した綿密な取材により、客観的事実に裏づけられたヒューマンドラマ、文学作品として確立した。またそれはグラフィカルにスポーツ全般をみせるという雑誌『Number』の成功とともに一つの時代をつくる。
1981年「江夏の21球」を含むスポーツ・ノンフィクション8編からなる『スローカーブを、もう一球』を発表。同年、同書により日本ノンフィクション賞を受賞。1985年『夏の終りにオフサイド』を刊行。エッセイとも小説ともつかないこの短文集では、スポーツの周辺を個人の視点で観察し、描写した。その文体は片岡義男や村上春樹とも共通した、つまりアメリカのハードボイルド小説の影響を受けた、短く即物的だが、それによってかえって抒情(じょじょう)的である文体だった。以降、『空が見ていた』『エンドレス・サマー』(1985)、『ルーキー』(1987)、『ゴルファーは眠れない』(1992)、『彼らの夏、ぼくらの声』『ダブルボギークラブへようこそ』(1994)など、精力的に作品を発表していく。名選手や名試合、トーナメントの頂点に立つような試合だけでなく、無名選手による観客のほとんどいない試合にもドラマをみいだし、作品に仕立てる。そんな山際の特徴がよく出ているのが『逃げろ、ボクサー』(1983)である。同書で山際は、高校野球の地区予選、練習嫌いのバンタム級ボクサー、ボディビルをする生物学者などを描いた。著者最後のスポーツ・ノンフィクションとなったのが『最後の夏』(1995)である。題材は1973年のプロ野球セリーグ。9回連続リーグ優勝を目前にした川上哲治(てつはる)率いる巨人と、その行く手を阻む阪神とのゲーム差ゼロの白熱した試合を追った。1994年(平成6)4月からNHK『サンデースポーツ』のキャスターを務めたが、1995年(平成7)3月体調不良により休演。同年5月、46歳で急逝。
[永江 朗]
『『最後の夏』(1995・マガジンハウス)』▽『『スローカーブを、もう一球』『夏の終りにオフサイド』『空が見ていた』『エンドレス・サマー』『ルーキー』『ゴルファーは眠れない』『彼らの夏、ぼくらの声』『ダブルボギークラブへようこそ』『逃げろ、ボクサー』(角川文庫)』