翻訳|nonfiction
春名徹(はるなあきら)(1935― )はノンフィクションを「事実にもとづいた、文学以外の、言語表現による著作」と規定している(『日本近代文学大事典』)。しかし、この規定のなかの「文学以外」という限定は外してもかまわないと思われる。現在では、ノンフィクション作品は、りっぱな文学作品として認められていて、現代文学の世界で大きな位置を占めているからである。
[川村 湊]
古代のギリシアでは神々の物語として「神話」が、そして人々の物語として「歴史」があった。ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』は神と人との物語として「神話物語(=フィクションの原型)」として位置づけられていたが、シュリーマンの遺跡発掘によって、現実にあった歴史を素材とした、いわばノンフィクション作品であることが証明された。
ヘロドトスやトゥキディデスの『歴史』やカエサルの『ガリア戦記』、司馬遷(しばせん)の『史記』などの歴史書が、もっとも早い時期のノンフィクション作品ということができ、それは神々の物語としての「神話」や、その発展形態としての伝説、綺譚(きたん)、妖精(ようせい)物語、ロマンスなどのフィクション(=虚構、小説)と、ジャンル的に分離・区分されるようになったのである。
近代においてもジョン・リードの『世界をゆるがした十日間』(1919)やエドガー・スノーの『中国の赤い星』(1937)など、革命や戦争に密着したドキュメンタリーとしてのノンフィクション作品が書かれたが、記録文学、ドキュメンタリーといったさまざまなジャンル名をまとめるような形で「ノンフィクション」と称されるようになったのは、第二次世界大戦後のことで、アメリカのジャーナリズムにおいて従来の記録や報道、または実話小説などと違ったノンフィクション作品が書かれるようになってからのことである。代表的なものとしてトルーマン・カポーティの『冷血』(1966)をあげることができる。
もちろん、それ以前にもアンドレ・ジッドの『ソビエト紀行』(1936)やジョージ・オーウェルの『カタロニア讃歌(さんか)』(1938)のような著名な小説家によるノンフィクション作品(紀行、記録、報告)がなかったわけではない。しかし、文学作品としてのノンフィクションが認識されるようになったのは、欧米においても、日本においてもごく近年のことに属しているのである。
[川村 湊]
記録文学、ルポルタージュ文学といった名称で、ノンフィクション作品はこれまでも日本の文学史において登録されてきた。横山源之助(げんのすけ)の『日本之下層社会』(1899)や松原岩五郎(いわごろう)(1866―1935)の『最暗黒之東京』(1926)、あるいは細井和喜藏(わきぞう)の『女工哀史』(1925)などがそうである。しかし、近年のノンフィクション文学というジャンルは、こうした先行作品とはすこし趣(おもむき)を異にした、いわゆるニュー・ジャーナリズムを背景として、1974年(昭和49)に「田中角栄研究」で一躍脚光を浴びた立花隆(たちばなたかし)、児玉隆也(たかや)(1937―1975)などの登場によって大いに注目されるようになったのである。ノンフィクション作家、ノンフィクション文学ということばがあたりまえのように流通し、ノンフィクション作品を対象とした大宅壮一(おおやそういち)ノンフィクション賞のような文学賞も創設された。
こうしたノンフィクション文学というジャンルの確立には、何人かの小説家の力があったと思われる。第二次世界大戦後のこうした分野を活発化させたのは坂口安吾(あんご)であり、『安吾巷談(こうだん)』(1950)や『安吾新日本地理』(1951)などの作品は明らかに戦後のノンフィクションのはしりである。それは小説家の手すさびのエッセイ、漫筆ではなく、社会現象や事件、現実・事実を相手にした作家の真剣な表現活動の取組みだったのである(それがやや余裕の産物のようにみえたとしても)。
もっと現代に近いところでそうしたノンフィクション作品の試みを行ったのが、開高健(かいこうたけし)である。彼は『片隅の迷路』(1962)のような、現実に起こった徳島ラジオ商殺しという冤罪(えんざい)事件を小説として書くかたわら、『ずばり東京』(1964)や『ベトナム戦記』(1965)といったルポルタージュ作品を書き、大都市東京というキメラのような街や、ベトナム戦争という世界の矛盾の輻輳(ふくそう)する場所から現代社会、現代の戦争についての報告を行ったのである。
もう一人、ノンフィクションを書いた小説家として梶山季之(としゆき)をあげることができる。『黒の試走車』(1962)などの産業スパイ小説で、一世を風靡(ふうび)した彼は、週刊誌の取材記者、ルポルタージュ記事の書き手として「トップ屋」とよばれるノンフィクション作家たちの先頭にたった。日韓関係、原爆問題、移民問題を中心に、政治・経済・犯罪・芸能界など、彼の守備範囲は広く、また、反体制的、社会批判的なスタンスは、その後のノンフィクション・ライターの反骨精神につながったといえる。それはまた、大宅壮一の大衆社会への批評性につながり、また、松本清張(せいちょう)の現代社会の暗黒面を暴き出した『日本の黒い霧』などのノンフィクション作品にもつながっている。
立花隆や児玉隆也も社会派というべきノンフィクション作家であったが、同じ社会派でも、石牟礼(いしむれ)道子、上野英信(ひでのぶ)(1927―1987)、松下竜一(1937―2004)などはもっと文学色が鮮やかで、小説作品と見まがうような作品を書いている。石牟礼の『苦海浄土』(1969)、上野の『地の底の笑い話』(1967)、松下の『狼煙(のろし)を見よ』(1987)などは、社会的事件に題材を仰いだものであるが、作者の詩情や感性がその作品の底を流れているのが特徴的である。森崎和江(1927―2022)や沢地久枝(さわちひさえ)(1930― )の作品も、そうした系統に属しているといえよう。
一人の人物や、事件、事象を追いかけ、長編や短編のノンフィクションを完成させるというスタイルを、沢木耕太郎や鎌田慧(さとし)や柳田(やなぎだ)邦男が完成させた。沢木は人物評伝のスタイルで『人の砂漠』(1977)を書き、テロ事件の被害者と加害者とを両面から描いた『テロルの決算』(1978)を書いた。鎌田は『自動車絶望工場』(1973)で、体験的ルポルタージュの道を開いた。柳田は『マッハの恐怖』(1971)で、現代の航空機事故が、社会のあらゆる方面からの影響力とあらゆる方面への波及力をもっていることを示した。
さらに、ノンフィクションの次の世代として、猪瀬直樹(いのせなおき)、佐野眞一、吉田司(つかさ)(1945― )、吉岡忍(しのぶ)(1948― )、関川夏央(せきかわなつお)、久田恵(ひさだめぐみ)(1947― )、野村進(1956― )などがいる。彼らは、国内、国外を問わない旺盛(おうせい)なフィールドワークと、緻密(ちみつ)な文献資料の活用によって、ノンフィクション作品をより広く、一般的な文学作品として定着させていった。猪瀬の『ミカドの肖像』(1986)は、日本の近代の天皇制と西武資本との「結託」を論証し、佐野の『巨怪伝』(1994)は政治家の近代史を、吉田の『下下戦記』(1987)は水俣(みなまた)病の患者世界を、吉岡の『墜落の夏』(1986)は日航機墜落事故を、関川の『海峡を越えたホームラン』(1984)は、日韓の野球社会を、久田の『サーカス村裏通り』(1986)は、日本のわびしいサーカス団の世界を、野村の『海の果ての祖国』(1987)は、サイパン移民の世界を、それぞれ新鮮な視角から描き出し、ノンフィクション作家として成長していった。また、辺見庸(へんみよう)(1944― )の『もの食う人びと』(1994)や、中上健次の『紀州――木の国・根の国物語』(1978)、村上春樹の『アンダーグラウンド』(1997)など、小説家によるノンフィクション作品の試みも持続されている。
[川村 湊]
『杉浦明平著『記録文学の世界』(1968・徳間書店)』▽『篠田一士著『ノンフィクションの言語』(1985・集英社)』▽『槌田満文編『東京記録文学事典――明治元年~昭和20年』(1994・柏書房)』▽『佐野眞一著『私(わたし)の体験的ノンフィクション術』(集英社新書)』▽『松本清張著『日本の黒い霧』(1960・文芸春秋新社)』▽『柳田邦男著『マッハの恐怖――連続ジェット機事故を追って』(1971・フジ出版社)』▽『沢木耕太郎著『人の砂漠』(1977・新潮社)』▽『沢木耕太郎著『テロルの決算』(1978・文芸春秋)』▽『中上健次著『紀州――木の国・根の国物語』(1978・朝日新聞社)』▽『梶山季之著『黒の試走車』(1979・光文社)』▽『石牟礼道子著『苦界浄土――わが水俣病』(1980・講談社)』▽『関川夏央著『海峡を越えたホームラン――祖国という名の異文化』(1984・双葉社)』▽『猪瀬直樹著『ミカドの肖像』(1986・小学館)』▽『野村進著『海の果ての祖国』(1987・時事通信社)』▽『松下竜一著『狼煙を見よ――東アジア反日武装戦線「狼」部隊』(1987・河出書房新社)』▽『吉田司著『下下戦記』(1987・白水社)』▽『佐野眞一著『巨怪伝――正力松太郎と影武者たちの一世紀』(1994・文芸春秋)』▽『辺見庸著『もの食う人びと』(1994・共同通信社)』▽『村上春樹著『アンダーグラウンド』(1997・講談社)』▽『上野英信著『地の底の笑い話』(岩波新書)』▽『開高健著『ずばり東京』(文春文庫)』▽『開高健著『片隅の迷路』(角川文庫)』▽『開高健著『ベトナム戦記』(朝日文庫)』▽『鎌田慧著『自動車絶望工場――ある季節工の日記』(講談社文庫)』▽『坂口安吾著『安吾新日本地理』(河出文庫)』▽『久田恵著『サーカス村裏通り』(文春文庫)』▽『細井和喜蔵著『女工哀史』(岩波文庫)』▽『松原岩五郎著『最暗黒の東京』(岩波文庫)』▽『横山源之助著『日本の下層社会』改版(岩波文庫)』
字義どおりにはフィクションではないもの,つまり小説,詩,戯曲を除くすべての著作物。日本やアメリカの書評紙ではベストセラーの一覧をフィクションとノンフィクションに分け,後者には健康促進,ペットの飼い方などの実用書まで含まれる。しかしより一般的には,事実に基づくルポルタージュ,ドキュメンタリー,旅行記,探検記,伝記,日記などの散文形式の作品を指す。ただし,この定義も包括的であり,ノンフィクションには批判精神が欠如しているとしてルポルタージュやドキュメンタリーをこれから除外する考え方もある。
ノンフィクションの例は古代ギリシア・ローマ時代にまでさかのぼって求めることもできるが,19世紀のリアリズム文学,ジャーナリズムの発達を経たのちの,20世紀の散文の一形式とみるのが妥当であろう。ノンフィクションという英語が使われだすのも,20世紀初頭からである。第2次大戦前の代表作としては,J.リードの《世界をゆるがした10日間》(1919),E.P.スノーの《中国の赤い星》(1937),また日本では横山源之助の《日本之下層社会》(1899),細井和喜蔵の《女工哀史》(1925)などを挙げることができる。ソ連・ロシアには〈オーチェルクocherk(記録文学)〉というジャンルがあり,ゴーリキーの唱道もあって多くの作家が手がけ,I.G.エレンブルグ,M.A.ショーロホフ,V.V.オベーチキンらが秀作を残している。戦後日本では,1957年大宅壮一が中心となってノンフィクション・クラブを設立,後進の指導にあたり,また1960年代以降にはアメリカのニュー・ジャーナリズムの刺激もうけた。
事実に基づくノンフィクションは今日,文学を含めた著作物の中に確固たる地位を占めており,そのことは日常生活において現実への密着を強いられている現代という時代と無縁ではない。現実との適切な距離,緊迫した関係の喪失は創造力・想像力の衰退,ひいてはそれに依拠した小説などの衰弱をもたらし,ノンフィクションを通じて現実ないし事実の確実な意味が求められている。しかし事実の意味も多義的なものであり,絶えず読み直されるものである。アメリカの作家T.カポーティは,実際に起きた一家4人皆殺し事件を,犯人をはじめ事件の関係者からのインタビューをもとに《冷血》(1966)に仕立て,〈ノンフィクション・ノベルnonfiction novel〉の語を定着させた。また,A.ヘーリーは自分の祖先を探し求めた作品《ルーツ》(1976)を〈ファクションfaction〉(factとfictionの合成語)と呼んだ。これらの言葉が示唆するように,フィクションとノンフィクションとの境界は明瞭ではなく,ノンフィクションは一義的で確実な意味をもつ事実をそのまま再現するものではない。
→フィクション
執筆者:笠原 武
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