日本歴史地名大系 「岡屋村」の解説
岡屋村
おかやむら
慶長七年(一六〇二)当村のうち七〇〇石が本多成重領となる(東京大学史料編纂所所蔵文書)。元和六年(一六二〇)残り一千二八〇石余が旗本有馬領(同文書)。本多領分は寛永一三年(一六三六)に同氏が尾張藩主徳川氏の家臣となったため同藩領となり、両者の相給で幕末に至る。寛永石高帳では高一千九八〇石余、慶安二年書上によると田一千三六三石余・畑屋敷八八石余・永荒五二七石余。宝暦(一七五一―六四)頃には尾張藩領分の家数九五(高持六一・無高三四)、牛二二(「尾張藩江州領覚書」竜王町史)。明治二年(一八六九)には有馬領分の家数九三・人数三九八、牛三五(「村明細帳」岡屋区有文書)。
岡屋村
おかのやむら
岡屋村
おがやむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報