岡崎熊吉(読み)オカザキ クマキチ

20世紀日本人名事典 「岡崎熊吉」の解説

岡崎 熊吉
オカザキ クマキチ

明治〜昭和期の社会運動家 岡山県協和会副会長。



生年
安政3年6月21日(1856年)

没年
昭和8(1933)年12月17日

出生地
備前国上道郡玉井村(岡山県赤磐郡瀬戸町)

経歴
幕末に勃発した渋染一揆の指導者・笹岡村良平の甥。地元の私塾で学んだのち上京し、芝増上寺の石井法大師に師事して漢学を修めた。のち徳島県の警察官となるが、すぐに退職して帰郷し、自由民権運動に参加。民権左派の要員として活躍し、常に山陽自由党の領袖小林樟雄と行動を共にした。その後、被差別部落解放運動に身を投じ、明治35年三好伊平次らとともに備作平民会を組織。さらに岡山県同志会や岡山県連合改善会を結成し、その中心人物として徐々に運動の機運を高めていった。大正9年官民一体の相互協和により岡山県協和会ができると、その副会長に就任し、講演や宣伝活動などを通じて融和運動の促進をはかった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡崎熊吉」の解説

岡崎熊吉(2) おかざき-くまきち

1856-1933 明治-昭和時代前期の社会運動家。
安政3年6月21日生まれ。明治35年三好伊平次らと備作平民会を創立,部落改善運動にとりくむ。大正4年岡山県同志会,9年岡山県協和会の結成に参加し,融和運動をすすめた。昭和8年12月17日死去。78歳。備前(岡山県)出身

岡崎熊吉(1) おかざき-くまきち

1832-1864 幕末の武士
天保(てんぽう)3年生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩校明倫館の会計吏。文久3年下関での外国船砲撃の際会計をつとめる。元治(げんじ)元年禁門の変で天竜寺遊撃隊本陣付として会計を担当。同年7月19日戦死。33歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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