岡本玄冶(読み)おかもとげんや

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岡本玄冶」の意味・わかりやすい解説

岡本玄冶
おかもとげんや

[生]天正15(1587)
[没]正保2(1645).4.20. 江戸
江戸時代初期の医師。名は宗什のちに諸品,号は啓迪庵,院号は啓迪院。慶長7 (1602) 年曲直瀬玄朔に入門,のちに女婿となり,玄朔奥義をすべて伝授された。徳川家康に召されて元和4 (18) 年法眼となる。同9年将軍家光について江戸に出,寛永4 (27) 年から 10年間江戸と京都を隔年につとめ,同5年法印となった。同 14年家康の病気をなおして千石の采地を与えられ,京都では後水尾上皇明正天皇の診察にあたった。『灯下集』『玄冶配剤口解』『玄冶方考』『家伝預薬集』など著書が多い。子孫も代々幕府の医官をつとめ,啓迪院の号と玄冶を襲名した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡本玄冶」の解説

岡本玄冶 おかもと-げんや

1587-1645 江戸時代前期の医師。
天正(てんしょう)15年生まれ。曲直瀬玄朔(まなせ-げんさく)にまなぶ。元和(げんな)9年将軍徳川秀忠の侍医となり,のち将軍徳川家光の病をなおし,1000石の領地をえる。京都と江戸を往復,京都にいるときは天皇を診療した。正保(しょうほ)2年4月20日死去。59歳。京都出身。名は宗什,諸品。号は啓迪院。著作に「灯下集」「玄冶方考」など。

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