岡本肇(読み)おかもとはじめ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡本肇」の意味・わかりやすい解説

岡本肇
おかもとはじめ
(1902―1994)

薬理学者。石川県生まれ。1927年(昭和2)金沢医科大学卒業母校教授となり、1939年、溶血性連鎖状球菌の溶血毒素の生産が、リボ核酸添加によって増進されることを発見した。核酸の研究もまだ進んでいない当時にあって、この発見は、溶血毒素の研究はもとより、核酸の研究にも大きな刺激となるものであった。この業績によって、1952年(昭和27)日本細菌学会浅川賞、1957年学士院賞などを受賞した。金沢大学教授、同大学結核研究所所長(1954)、同大学がん研究所所長(1967)などを歴任した。

藤野恒三郎

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20世紀日本人名事典 「岡本肇」の解説

岡本 肇
オカモト ハジメ

昭和期の薬理学者 金沢大学名誉教授。



生年
明治35(1902)年8月1日

没年
平成6(1994)年4月8日

出身地
石川県小松市

学歴〔年〕
金沢医科大学〔昭和2年〕卒

学位〔年〕
医学博士

主な受賞名〔年〕
浅川賞〔昭和27年〕,中日文化賞(第9回)〔昭和31年〕「核酸による溶血性連鎖状球菌の溶血毒増産現象の発見」,日本学士院賞〔昭和32年〕,勲二等瑞宝章〔昭和47年〕

経歴
昭和29年金沢大学結核研究所長、35年医学部長、42年がん研究所長、44年富山県立中央病院長を歴任。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡本肇」の解説

岡本肇 おかもと-はじめ

1902-1994 昭和時代の薬理学者,細菌学者。
明治35年8月1日生まれ。母校金沢医大,後身の金沢大の教授。同大結核研究所長,同大がん研究所長をつとめる。リボ核酸の添加によって,溶血性連鎖状球菌の溶血毒素の生成がふえることを発見し,昭和32年学士院賞。平成6年4月8日死去。91歳。石川県出身。

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