岡田忠彦(読み)オカダ タダヒコ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「岡田忠彦」の解説

岡田 忠彦
オカダ タダヒコ


肩書
衆院議員(自由党),厚相

生年月日
明治11年3月21日

出生地
岡山県

学歴
東京帝大法科大学政治科〔明治36年〕卒

経歴
内務省に入り奈良、山口、熊本各県警察部長、警保局警務課長、長崎県、東京府各内務部長、埼玉長野、熊本各県知事から大正12年警保局長となった。同年の虎の門事件で辞職。13年東京市高級助役となったが同年の衆議院選挙に立ち当選(以後当選8回)。昭和2年政友会総務、11年衆議院副議長、14年久原派幹事長、17年衆議院議長となった。翼賛議員連盟、翼賛政治会、大日本政治会に属し、20年鈴木貫太郎内閣厚相となった。戦後公職追放、解除後の27年総選挙で議員に復帰、自由党に入った。著書に「南支那の一瞥」「旋風裡の欧米」。

没年月日
昭和33年10月30日

家族
弟=岡田 包義(北海道長官)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「岡田忠彦」の解説

岡田 忠彦
オカダ タダヒコ

大正・昭和期の内務官僚,政党政治家 衆院議員(自由党);厚相。



生年
明治11(1878)年3月21日

没年
昭和33(1958)年10月30日

出生地
岡山県

学歴〔年〕
東京帝大法科大学政治科〔明治36年〕卒

経歴
内務省に入り奈良、山口、熊本各県警察部長、警保局警務課長、長崎県、東京府各内務部長、埼玉、長野、熊本各県知事から大正12年警保局長となった。同年の虎の門事件で辞職。13年東京市高級助役となったが同年の衆議院選挙に立ち当選(以後当選8回)。昭和2年政友会総務、11年衆議院副議長、14年久原派幹事長、17年衆議院議長となった。翼賛議員連盟、翼賛政治会、大日本政治会に属し、20年鈴木貫太郎内閣厚相となった。戦後公職追放、解除後の27年総選挙で議員に復帰、自由党に入った。著書に「南支那の一瞥」「旋風裡の欧米」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡田忠彦」の解説

岡田忠彦 おかだ-ただひこ

1878-1958 大正-昭和時代官僚,政治家。
明治11年3月21日生まれ。埼玉・長野・熊本各県の知事をへて,大正13年衆議院議員(当選8回)となり,政友会に所属。昭和17年から3年間衆議院議長をつとめ,鈴木貫太郎内閣で厚相。戦後公職追放,解除後代議士に復帰し自由党に属した。昭和33年10月30日死去。80歳。岡山県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「岡田忠彦」の解説

岡田 忠彦 (おかだ ただひこ)

生年月日:1878年3月21日
大正時代;昭和時代の政治家。衆議院議員
1958年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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