幕末の勤王家。上野(こうずけ)国(群馬県)館林(たてばやし)藩(秋元氏)中老。通称鈕吾(ちゅうご)、変名斯波(しば)純一郎、弾正(だんじょう)、晩年寒香園主人と号した。水戸の青山延光(のぶみつ)に師事、ついで昌平黌(しょうへいこう)に学び、のち上京して勤王に従事、1863年(文久3)藩の分領河内(かわち)国(大阪府)の雄略(ゆうりゃく)陵修復にあたった。同年幕府征長の議にあたり、藩主志朝(ゆきとも)の内命により長州に下り、その回避を運動したが、禁門の変により幕府の嫌疑を恐れて藩を追放された。維新には甲信の討幕軍に参加した。69年(明治2)帰藩、廃藩後は若松県大参事、修史局御用掛などを歴任、鎌倉宮宮司(ぐうじ)、氷川神社宮司となった。この間『皇朝編年史』『名将言行録』など著述が多い。墓所は埼玉県深谷市清心寺。
[山田武麿]
ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...