館林藩(読み)たてばやしはん

改訂新版 世界大百科事典 「館林藩」の意味・わかりやすい解説

館林藩 (たてばやしはん)

上野国群馬県)邑楽郡館林城に藩庁をおいた譜代中藩。1590年(天正18)徳川家康関東入国にともない,四天王の一人榊原康政が10万石に封ぜられて立藩。所領は邑楽・山田両郡および下野梁田郡にわたる。入封の翌年領内の総検地を行い,さらに利根川,渡良瀬川の築堤改修や城下町の拡大整備を進めた。榊原氏は康政のあと2代在封して1643年(寛永20)奥州白河に転じ,番城1年を経て遠江浜松から松平(大給)乗寿が6万石で入封,乗寿は家光の側近老中として活躍したが,子乗久のとき61年(寛文1)下総佐倉に移った。代わって徳川綱吉が城主となり,旧領に館林領10万石を合わせて25万石を領有,城も大修築が加えられたが,80年(延宝8)綱吉は将軍職を継ぎ,子徳松が1歳で藩主となった。しかし徳松は83年(天和3)幼死したため,以後館林城は廃城となり,城付領は幕領のほか旗本領に細分された。1707年(宝永4)松平(越智清武が2万4000石で入封して城を再築,在封中所領も5万4000石となったが,2代を経て武元(たけちか)のとき28年(享保13)奥州棚倉に転じ,太田資晴が代わって5万石で入封した。資晴は34年大坂城代になったため所領を大坂周辺に移され,館林城付領は一時幕領となったが,子資俊のとき旧領に復し,ついで46年(延享3)遠江掛川に転じた。代わって松平武元が再入封し,武元は将軍家宣,家治2代にわたり老中として重きをなし,6万1000石に加封されたが,このあと2代を経て1836年(天保7)石見浜田に移り,奥州棚倉の井上正春が代わった。しかしこれも45年(弘化2)浜松に転じ,出羽山形から秋元志朝ゆきとも)が6万石で入封した。秋元氏は上野総社城主長朝の後裔で,志朝は長州藩の縁戚である。藩校求道館(造士書院)を開き,桑,茶など殖産を勧め,分領にある雄略天皇陵の修理など,その治績は著しかったが,長州征伐をめぐる公武の調停に失敗して致仕。養嗣礼朝(ひろとも)は勤王をさきがけ,戊辰戦争には上越国境や奥州に出兵した。
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百科事典マイペディア 「館林藩」の意味・わかりやすい解説

館林藩【たてばやしはん】

上野国邑楽(おうら)郡館林(現,群馬県館林市)に政庁(館林城)を置いた譜代中藩。1590年徳川家康が関東に入国すると,榊原康政が上野国邑楽・勢田郡,下野国梁田郡のうちで10万石を与えられて入部し,館林藩が成立した。榊原氏は加増されて11万石となり,1643年7月陸奥白河に転封。一時幕府領となったが,1644年松平(大給)乗寿が6万石で入部した。1654年には弟乗政に5千石を分知した。1661年松平氏が下総佐倉に転じると,将軍徳川家綱の弟綱吉が城付領を含む25万石で入部。1680年綱吉が5代将軍に就任するとその子徳松丸が藩主となったが,1682年城付領の大部分が旗本領に分与され,翌1683年徳松丸が死ぬと廃藩となった。1707年松平(越智)清武が2万4千石で入部して館林藩が再置された。その後数度の加増で5万4千石となり,1728年陸奥棚倉へ転封。太田資晴が同地から5万石で入部した。1734年資晴の大坂城代転出により一時幕府領となる。1740年太田資俊が5万石で復し,1746年遠江掛川に転封となった。同年松平(越智)武元が5万4千石で入部,1769年加増され6万1千石となり,1836年石見浜田へ転封となった。替わって井上正春が6万石で入部し,1845年遠江浜松へ転封。同年秋元志朝が6万石で入部し,以後1871年の廃藩まで同氏が藩主であった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「館林藩」の意味・わかりやすい解説

館林藩
たてばやしはん

上野(こうずけ)国館林城(群馬県館林市)を藩庁とした譜代(ふだい)藩。1590年(天正18)徳川氏四天王の一人榊原康政(さかきばらやすまさ)が10万石を与えられて立藩。康政は入封の翌年領内の総検地を実施、また利根(とね)・渡良瀬(わたらせ)川の築堤、城下町の整備に努めた。榊原氏3代のあと番城1年を経て1644年(正保1)松平(大給(おぎゅう))乗寿(のりなが)が入封(6万石)して2代。1661年(寛文1)徳川綱吉(つなよし)が入城して25万石を領したが、将軍職に出た後を継いだ子徳松(とくまつ)が83年(天和3)幼死して廃城となった。その後1707年(宝永4)松平(越智(おち))清武(きよたけ)が入封して再築城し、所領も5万4000石までなったが、28年(享保13)武元のとき奥州棚倉(たなぐら)(福島県東白川郡)に移り、かわって太田資晴(すけはる)が入封した(5万石)。資晴の大坂城代転出に伴い城付領は一時幕領となったが、のち旧に復し1746年(延享3)松平(越智)武元が再封され、翌年老中となる。松平氏は3代在封ののち、1836年(天保7)石見(いわみ)浜田(島根県浜田市)に移り、井上正春がかわった。

 さらに1845年(弘化2)には山形から秋元志朝(ゆきとも)が入封したが2代で廃藩。幕末の秋元氏は藩校求道館(きゅうどうかん)(造士書院)の創設など藩政強化を図り、長州や宇都宮藩主との縁から、分領河内(かわち)(大阪府)の雄略(ゆうりゃく)陵修理など勤王に奔走、戊辰(ぼしん)戦争には上野鎮定のほか、野州出流山(いずるさん)、奥州にも転戦した。1871年(明治4)廃藩後、館林県を経て栃木県、ついで76年群馬県に編入された。

[山田武麿]

『川島維知著「館林藩」(『新編物語藩史 第3巻』所収・1976・新人物往来社)』

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藩名・旧国名がわかる事典 「館林藩」の解説

たてばやしはん【館林藩】

江戸時代上野(こうずけ)国邑楽(おうら)郡館林(現、群馬県 館林市)に藩庁をおいた譜代(ふだい)藩。藩校は道学館、求道館(のち造士書院)。1590年(天正(てんしょう)18)の徳川家康(とくがわいえやす)関東入国に伴い、徳川四天王の一人榊原康政(さかきばらやすまさ)が10万石を封じられ立藩した。1643年(寛永(かんえい)20)に榊原氏は陸奥(むつ)国白河藩に移り、1645年(正保(しょうほう)2)、松平(大給(おぎゅう))乗寿(のりなが)が6万石で入封(にゅうほう)した。次いで61年(寛文(かんぶん)1)に徳川綱吉(つなよし)が25万石で入り、80年(延宝(えんぽう)8)に将軍職で出ると、子の徳松が1歳で藩主となった。しかし、徳松が83年(天和(てんな)3)に幼死したため、館林城は廃城、藩領は幕領や旗本領となった。1707年(宝永4)、松平(越智(おち))清武(きよたけ)が2万4000石で入封、再築城して5万4000石となった。その後は、28年(享保(きょうほう)13)に太田資晴(すけはる)が5万石で、46年(延享(えんきょう)3)には松平(越智(おち))武元が再封された。翌年、武元は老中となり、6万1000石に加増された。次いで、1836年(天保(てんう)7)に井上正春、45年(弘化2)には秋元志朝(ゆきとも)が6万石で入封した。幕末の戊辰(ぼしん)戦争では、関東でもっとも早く新政府軍に加わった。71年(明治4)の廃藩置県により館林県を経て栃木県に編入されたが、76年に群馬県に編入された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「館林藩」の意味・わかりやすい解説

館林藩
たてばやしはん

江戸時代,上野国 (群馬県) 館林地方を領有した藩。榊原氏 10万石に始り,正保1 (1644) 年に松平 (大給) 氏6万 1000石,のち5万 6000石,寛文1 (61) ~延宝8 (80) 年5代将軍になるまで徳川綱吉が 25万石,宝永4 (1707) 年から松平 (越智) 氏2万 4000石,享保 13 (28) 年から太田氏5万石,延享3 (46) 年から松平 (越智) 氏5万 4000石復封,天保7 (1836) 年から井上氏6万石,弘化2 (45) 年から廃藩置県まで秋元氏が在封した。秋元氏は譜代,江戸城雁間詰。

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デジタル大辞泉プラス 「館林藩」の解説

館林藩

上野国、館林(現:群馬県館林市)を本拠地とした譜代藩。天正年間に徳川四天王のひとり榊原康政が10万石を得て入封。歴代藩主は松平氏、秋元氏など。

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世界大百科事典(旧版)内の館林藩の言及

【播磨国】より

竜野藩は29年(文政12),明石藩は38年(天保9)に木綿の専売制を始めている。上野館林藩も30年飛地領の三木の金物について専売制を強行したが,これはすぐに中止となった。貢租米や専売国産の大坂,江戸への積出し港として飾磨津,高砂,網干が繁栄し,瀬戸内海交通海運の港として室津が栄えた。…

※「館林藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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