日本歴史地名大系 「岩城村」の解説
岩城村
いわぎむら
岩城島の初見は、保元三年(一一五八)一二月三日の官宣旨(石清水文書)である。その中に、石清水八幡宮領の伊予国分として「石城島 生名島 佐島 味酒郷」が記されている。鎌倉末期の頃には、本島に、いわゆる悪党とよばれる在地武士が蟠居していたらしく、延慶(一三〇八―一一)頃のものと推定される弓削島庄雑掌法橋栄実注進状(東寺百合文書)に、
当時、岩城島の名は、名田と散田とに分れ、塩浜は名に結ばれ、名田経営の一環として製塩が行われていたものと思われる。
岩城村
いわぎむら
岩城村
いわきむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報