岸野次郎三郎(読み)きしのじろさぶろう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岸野次郎三郎」の意味・わかりやすい解説

岸野次郎三郎
きしのじろさぶろう

江戸時代初期の京坂三味線方の名手山本喜市と並び称せられる。元禄正徳 (1688~1716) 頃活躍。通称次 (治) 郎三。京都祇園町井筒の主人。宝永2 (05) 年 11月京都早雲座の立三味線。榊山小四郎父子の舞踊曲の大半を作曲傾城出端に用いる『ぬめり』を作曲し,傾城の位を 17の音色に弾き分けたという逸話がある。「鳴神」の銘の名器を所持したともいわれる。代表作『歌占 (責) 』『狐火』『暮の鐘』『こんくわい』『里景色』『猩猩』『関寺小町』『道成寺』『放下僧』『松風』『六段恋慕』。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岸野次郎三郎」の解説

岸野次郎三郎 きしの-じろさぶろう

?-? 江戸時代前期-中期の歌舞伎三味線方,作曲家。
宝永2年(1705)京都早雲座の立三味線となり,山本喜市とならび称された。また榊山小四郎父子の舞踊曲を作曲。作品に「狐火」「古道成寺」「関寺小町」など。京都出身。通称は次郎三(じろさ)。

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世界大百科事典(旧版)内の岸野次郎三郎の言及

【ぬめり】より

…〈ぬめり拍子〉〈ぬめり躍(おどり)〉などもあり,遊女の道中を〈ぬめり道中〉ともいい,それを扱った歌舞伎で,傾城(けいせい)の出端歌としての〈ぬめり〉もあった。京都の三味線の名手,岸野次郎三郎が,遊女の位によって弾き分けたことは有名。なお,それらが長唄の〈めりやす〉に転訛(てんか)したという説もある。…

※「岸野次郎三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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