島問屋(読み)しまどいや

改訂新版 世界大百科事典 「島問屋」の意味・わかりやすい解説

島問屋 (しまどいや)

江戸中期まで江戸で伊豆諸島産物の販売を委託された荷受問屋。江戸時代に伊豆諸島からは生魚,干魚,鰹節,サザエアワビなどの海産物,まき,ツゲ材,シイの実,ヤシャハンノキ),ツバキの実などの林産物,ツバキ油,織物などの工産物が江戸へ送られていた。これらの生産の多くは島民の共同でなされ,その出荷も島としてまとめてなされていた。島では産物を江戸へ送るとともに,生活上必要な品々を江戸で買い求め,島民に分配した。こうした取引を仲介したのが塩干肴問屋や島問屋である。島問屋は八丈屋島屋などと名のるように,伊豆諸島を取引対象とし,取扱商品も特定せず島の産物はなんでも取り扱った。また島側で求める米,木綿糸,針などの商品を集めて渡した。島から送ってきた商品の代金は,前渡しすることもあり,島側で求める商品で支払うこともあった。島問屋および塩干肴問屋は,島が災害を受けたときには復旧費用を貸し付け,造船の資金を融通するようなこともあった。この場合,その返済は島産物ですることが多く,問屋はこの機会にその産物を自分だけに送らせ,他所売りすることを禁じた。島と島問屋の取引には,送状も作らず,記録・帳簿類も残さず,島側では売買する商品の価格も,決済の残額がどのくらいあるのかもわからず,島問屋の渡すままに金や商品を受け取る状態であったという。1794年(寛政6)こうした取引は幕府でも問題にされ,八丈屋,島屋の営業は禁じられた。さらに96年,幕府は伊豆国付島々産物会所島会所)を設立し,島々から積み出す諸産物をすべてこの会所で引き取り,島々で購入する諸物資もすべて島会所から渡すことにした。なおこのとき塩干肴問屋に対しても,伊豆諸島の塩干魚,鰹節などを取り扱うことを禁じ,これも同会所の取扱いとした。以後,島と問屋の取引は江戸時代を通じて行われなかった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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