島田啓三(読み)シマダ ケイゾウ

20世紀日本人名事典 「島田啓三」の解説

島田 啓三
シマダ ケイゾウ

昭和期の漫画家 児童漫画会会長。



生年
明治33(1900)年5月3日

没年
昭和48(1973)年2月11日

出生地
東京

本名
島田 啓蔵

学歴〔年〕
川端画学校卒

主な受賞名〔年〕
日本漫画家協会賞(選考委員特別賞 第29回)〔平成12年〕

経歴
米屋に奉公しながら独学で漫画を描き、大正6年「万朝報」に投稿し入選。その後、電車の車掌をしながら川端画学校で学んだ。のち北沢楽天に師事したが、昭和3年頃、朝日新聞の懸賞子供長編漫画に1位当選、児童漫画家の道に入る。8年から6年間に渡り「少年倶楽部」に連載した「冒険ダン吉」が大ヒット。また毎日新聞文化部嘱託として「東京日日新聞」に連載した「半ちゃん捕物帖」や「ネコ七先生」なども人気を博した。戦後も「ブーチン・ターチン」「ターボーの珍冒険」など活躍を続け、児童漫画会を結成、会長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島田啓三」の解説

島田啓三 しまだ-けいぞう

1900-1973 昭和時代の漫画家。
明治33年5月3日生まれ。昭和8年より「少年倶楽部(クラブ)」に「冒険ダン吉」を連載,田河水泡の「のらくろ」とならんで大ヒットした。のち「東京日日新聞」嘱託となり,「ネコ七先生」「半ちゃん捕物帖(とりものちょう)」などを連載。東京児童漫画会会長をつとめた。昭和48年2月11日死去。72歳。東京出身。川端画学校卒。本名は啓蔵。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「島田啓三」の意味・わかりやすい解説

島田啓三
しまだけいぞう

[生]1900.5.3. 東京
[没]1973.2.11. 東京
漫画家。 1934~39年『少年倶楽部』に連載した代表作『冒険ダン吉』で知られる。この作品は第1次世界大戦後,南洋諸島が日本の委任統治領となり,南進論が盛上がった時代背景として人気を呼んだ。第2次世界大戦後の主要作品に『ネコ七先生』『ペンギン太郎』『カリ公の冒険』などがある。

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367日誕生日大事典 「島田啓三」の解説

島田 啓三 (しまだ けいぞう)

生年月日:1900年5月3日
昭和時代の漫画家。児童漫画会会長
1973年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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