日本歴史地名大系 「川合新田村」の解説 川合新田村かわいしんでんむら 長野県:長野市川合新田村[現在地名]長野市稲葉(いなば) 川合新田千田(せんだ)村の南、犀(さい)川の北岸にある。村名の初見は、元和四年(一六一八)四月二八日幕府代官から酒井忠勝に渡した信州川中島御知行目録(真田家文書)に、「更科郡之内」として「一高百七拾三石壱斗四升弐合 河合村新田」とある。河合村は更級(さらしな)郡に属し、鎌倉時代から村名があらわれ、河井・川井とも記した(諏訪上宮頭役結番下知状・諏訪御符礼之古書)。慶長年間(一五九六―一六一五)、北村門之丞が千曲川の関崎河原(せきざきがわら)及び犀川沿岸地を開拓し、慶長七年頃までに前記の地を耕地とし、一村落をなし川合村新田と称した。承応年間(一六五二―五五)までに更に犀川の上流を開き、三八三石一斗三升九合の耕地とし、住民は更級郡川合村に属し、貢租も同様であったが、その後洪水により耕地が流亡し、寛文四年(一六六四)には一三二石余に減じた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by