日本歴史地名大系 「川添村」の解説 川添村かわそえむら 鹿児島県:姶良郡吉松町川添村[現在地名]吉松町川添中津川(なかつがわ)村の南、川内(せんだい)川上流左岸に位置する。霧島山系栗野(くりの)岳(一〇九四・二メートル)北西斜面の山地・丘陵地、および川内川沿い平坦地に立地する。弘治四年(一五五八)二月一一日の亀岳天満宮作事注文(真幸院記)に、亀岳(かめおか)(亀岡)天満宮(現菅原神社)の作事を負担した者として「河添伊与殿」がみえる。元和六年(一六二〇)の知行名寄目録(村田文書)に河添村とみえ、村内の「田中・小松柴・馬場之下・たきノ木」に村田源之丞の知行地があった。 川添村かわぞえむら 福島県:双葉郡浪江町川添村[現在地名]浪江町川添室原(むろはら)川南岸にあり、東は権現堂(ごんげんどう)村、南は樋渡(ひわたし)村。古くは新田(にいだ)村といい、享保九年(一七二四)村名を改称した(奥相志)。正保郷帳に新田村とあり、田方一六五石余・畑方七一石余。元禄郷帳も同名で、高三一九石余。寛永一六年(一六三九)の高三五九石余、明暦二年(一六五六)の高四五〇石余(奥相志)。天明三年(一七八三)の家数一六、嘉永元年(一八四八)の家数一六(検地石高収納戸口等調)。 川添村かわそいむら 青森県:西津軽郡木造町川添村[現在地名]木造町柴田(しばた)西は柴田村へ続き、田圃を隔てて北に川泊(かわとまり)村、東に下相野(しもあいの)村(現森田村)、南に浅田(あさた)村(現森田村)。天和三年(一六八三)の広須御新田所図に村名がみえる。享保一二年(一七二七)木造新田に属し、木造通三五ヵ村の一つで村位は下とある(平山日記)。元文元年(一七三六)の検地帳によれば、田畑屋敷合せて一一町五反三畝一三歩、村高七〇・三三四石とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by