川瀬村(読み)かわぜむら

日本歴史地名大系 「川瀬村」の解説

川瀬村
かわぜむら

[現在地名]広川町新代にいしろ

長徳ちようとく村の北西に位置する。中世広川庄のうち。戦国末期と推定される蒲池鑑興等連署勧進状(稲員家文書/筑後国水田荘・広川荘史料(九州荘園史料叢書))によれば、鎮興らは「河瀬村」内大聖禅だいしようぜん(牟礼村内)撞鐘鋳造を勧進している。天正一七年(一五八九)村名が定められ、川瀬村二三町とされる(稲員家記)。本高二六六石余(元禄国絵図)


川瀬村
かわぜむら

[現在地名]五泉市川瀬

早出はいで川左岸の自然堤防上にあり、北は赤海あこうみ村、南は五十嵐いからし新田に接する。慶長一九年(一六一四)の村上領高附並組々村覚(寛政六年写、五泉郷土史)では三本木組に属し、正保国絵図に七九六石余、貞享元年(一六八四)郷村高辻帳には高七五三石七斗余とある。宝永七年(一七一〇)幕府領となり、明和二年(一七六五)の石瀬代官所村々高辻帳(北条一也氏蔵)によれば村高は九四六石一斗余で、五泉組に属した。


川瀬村
かわせむら

[現在地名]御浜町川瀬

上野うわの村の北隣にある。中世は尾呂志氏領であったと考えられる。慶長六年(一六〇一)検地帳(徳川林政史蔵)に「河瀬村」と記される。新宮領で尾呂志組に属する。近世初期の家数一五(「新宮藩御勘定方旧記」和歌山県史近世史料編)、後期は二五(紀州新宮領分見聞記)。宝永五年(一七〇八)新田検地が行われた(「新田畑屋鋪改帳」徳川林政史蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android