川連城跡(読み)かわつれじようあと

日本歴史地名大系 「川連城跡」の解説

川連城跡
かわつれじようあと

[現在地名]栃木市片柳町四丁目、下都賀郡大平町川連

永野ながの川左岸、大平おおひら町境にある中世の平城。城の西側は永野川が画し、東から南にかけては湿地帯が広がっていた。現在郭跡は畑地で、それより低い水田が堀跡と考えられる。調査によれば郭中央よりやや西に東西六八メートル・南北五〇メートルの本丸、その周囲に二重に段築があり、西にも郭跡がみられる。南に大手門跡と考えられるものが確認される。土塁の一部も残る。応永年間(一三九四―一四二八)川連仲利が築城したとされ、永禄六年(一五六三)皆川山城守俊宗が領したという。


川連城跡
かわつらじようあと

[現在地名]稲川町川連 古館

川連集落の南にあり、比高約八〇メートルの山地に本丸を構え周囲に空堀をもつ。

築城の年代は明らかではないが、貞和五年(一三四九)の米良文書に「かわつら殿」の名がみえるので、それまでには築かれたものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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