左近司政三(読み)サコンジ セイゾウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「左近司政三」の解説

左近司 政三
サコンジ セイゾウ


肩書
商工相,貴院議員(勅選)

生年月日
明治12年6月27日

出生地
大阪

学歴
海兵(第28期)〔明治33年〕卒 海大〔明治45年〕卒

経歴
日露戦争に「磐城」航海長で従軍。海大卒業後第1艦隊参謀、練習艦隊参謀、大正7年以降オランダ、英国駐在、帰国後「矢矧」「長門艦長、人事局第1課長、軍務局第1課長、昭和2年軍務局長、3年中将、5年ロンドン海軍軍縮会議首席随員、同年10月練習艦隊司令長官、6年海軍次官、次いで第3艦隊司令長官、佐世保鎮守府司令長官、9年予備役。10年北樺太石油会社社長、16年第3次近衛文麿内閣の商工相、18年貴族院議員、20年鈴木貫太郎内閣国務相敗戦

没年月日
昭和44年8月30日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「左近司政三」の解説

左近司 政三
サコンジ セイゾウ

大正・昭和期の海軍中将 商工相;貴院議員(勅選)。



生年
明治12(1879)年6月27日

没年
昭和44(1969)年8月30日

出生地
大阪

学歴〔年〕
海兵(第28期)〔明治33年〕卒,海大〔明治45年〕卒

経歴
日露戦争に「磐城」航海長で従軍。海大卒業後第1艦隊参謀、練習艦隊参謀、大正7年以降オランダ、英国駐在、帰国後「矢矧」「長門」艦長、人事局第1課長、軍務局第1課長、昭和2年軍務局長、3年中将、5年ロンドン海軍軍縮会議首席随員、同年10月練習艦隊司令長官、6年海軍次官、次いで第3艦隊司令長官、佐世保鎮守府司令長官、9年予備役。10年北樺太石油会社社長、16年第3次近衛文麿内閣の商工相、18年貴族院議員、20年鈴木貫太郎内閣国務相で敗戦。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「左近司政三」の意味・わかりやすい解説

左近司政三
さこんじせいぞう

[生]1879.6.27. 大阪
[没]1969.8.30. 東京
海軍軍人。海城中学を経て海軍兵学校,海軍大学卒業後,オランダ,イギリスに駐在。帰国後『矢矧』艦長,『長門』艦長などをつとめ 1927年軍務局長となり,翌 28年中将に昇進した。 30年,ロンドン海軍軍縮会議首席随員となり,軍縮条約交渉に尽力,海軍内では条約派と目された。その後海軍次官,佐世保鎮守府長官などを歴任。退役後第3次近衛文麿内閣の商工相,鈴木貫太郎内閣の国務相となった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「左近司政三」の解説

左近司政三 さこんじ-せいぞう

1879-1969 明治-昭和時代前期の軍人,政治家
明治12年6月27日生まれ。イギリス駐在後,海軍省人事局長,軍務局長となり,昭和3年海軍中将。5年ロンドン海軍軍縮会議に出席。海軍次官,第三艦隊司令長官などを歴任。退役後は北樺太(からふと)石油社長,第3次近衛内閣の商工相,貴族院議員。終戦時は鈴木内閣の国務相。昭和44年8月30日死去。90歳。山形県出身。海軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「左近司政三」の解説

左近司 政三 (さこんじ せいぞう)

生年月日:1879年6月27日
大正時代;昭和時代の海軍軍人;政治家。中将;貴族院議員
1969年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android