デジタル大辞泉 「市来乙彦」の意味・読み・例文・類語 いちき‐おとひこ〔‐をとひこ〕【市来乙彦】 [1872~1954]官僚・政治家。鹿児島の生まれ。大蔵省の主計局長・次官を経て加藤友三郎内閣の大蔵大臣となり、第一次大戦後のインフレ是正に取り組んだ。のち日本銀行総裁に就任すると、関東大震災に伴うモラトリアム実施や金融恐慌への対策などに尽力。総裁辞任後は東京市長や参議院議員を歴任した。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「市来乙彦」の解説 市来 乙彦イチキ オトヒコ 明治〜昭和期の大蔵官僚,政治家 大蔵大臣;日本銀行総裁;東京市長;参院議員。 生年明治5年4月13日(1872年) 没年昭和29(1954)年2月19日 出生地鹿児島県 学歴〔年〕東京帝大法科大学政治学科〔明治29年〕卒 経歴明治29年大蔵省に入り、那覇税務管理局長、税関事務官、大蔵書記官、主計局長を経て大正5年12月大蔵次官となった。7年勅選議員、11年6月加藤友三郎内閣の大蔵大臣となった。12年9月内閣総辞職で日本銀行総裁。昭和3年第12代東京市長となり、22年参院議員(無所属、当選1回)。25年政界を去り東京高等電気学校顧問となった。和歌をよくした。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「市来乙彦」の解説 市来 乙彦イチキ オトヒコ 肩書大蔵大臣,日本銀行総裁,東京市長,参院議員 生年月日明治5年4月13日 出生地鹿児島県 学歴東京帝大法科大学政治学科〔明治29年〕卒 経歴明治29年大蔵省に入り、那覇税務管理局長、税関事務官、大蔵書記官、主計局長を経て大正5年12月大蔵次官となった。7年勅選議員、11年6月加藤友三郎内閣の大蔵大臣となった。12年9月内閣総辞職で日本銀行総裁。昭和3年第12代東京市長となり、22年参院議員(無所属、当選1回)。25年政界を去り東京高等電気学校顧問となった。和歌をよくした。 没年月日昭和29年2月19日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「市来乙彦」の解説 市来乙彦 いちき-おとひこ 1872-1954 明治-昭和時代の官僚,政治家。明治5年4月13日生まれ。大蔵省にはいり,主計局長から大正5年次官。11年加藤友三郎内閣の蔵相。翌年日銀総裁となり,関東大震災,金融恐慌,金解禁の難局にとりくんだ。大正7年貴族院議員,昭和3年東京市長,22年参議院議員。昭和29年2月19日死去。81歳。鹿児島県出身。帝国大学卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「市来乙彦」の解説 市来 乙彦 (いちき おとひこ) 生年月日:1872年4月13日明治時代-昭和時代の大蔵官僚;政治家。日本銀行総裁;参議院議員1954年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by