日本大百科全書(ニッポニカ) 「市法貨物仕法」の意味・わかりやすい解説
市法貨物仕法
しほうかもつしほう
鎖国体制の下、江戸幕府によって試みられた長崎における貿易仕法の一つ。1604年(慶長9)に始まる糸割符(いとわっぷ)仕法、1655年(明暦1)以降の相対(あいたい)仕法の後を受けて、1672年(寛文12)制定、翌73年(延宝1)より施行され、1684年(貞享1)に廃止された。この仕法制定の背景としては、当時の「鎖国」という貿易環境の影響を受けて貿易品取引の主導権が外国商人によって掌握されがちであった欠陥の匡正(きょうせい)と、それに伴う輸出対価としての金・銀・銅の海外流出の防止が重要な課題となっていた。この仕法の特色としては、第一に、輸入品購入価格の決定権を日本側で一方的に掌握し、これに基づく輸入価格を相手側に示し、先方が不満の場合は持ち帰らせるというきわめて特異な方式をとったこと、また従来は生糸中心であったものをすべての輸入品に適用する(惣(そう)割符制)を採用したこと、そして他方国内的対策としては、全国の貿易商人(現実的には中部地方以西であったが)をそれぞれ国別に京、堺(さかい)、大坂、江戸、長崎の5か所の裁判の下に置き、それぞれの商人の取引額と過去の実績を勘案して枠つけとして一種の「株」を設定し、その数はおおむね6600~6700人に限定した。これは明らかに貿易商人の統制化を意図するものであった。しかもこれによって長崎の繁栄はクライマックスに達し人口も5万を超え、まさに全盛期を迎えた。しかしこれによる風俗の華美や市法商法に関与する新旧商人の内部対立、また金・銀・銅の流出防止も思うほどの成果があがらぬという弊害も生じ、幕府では1684年これを廃止し、翌年糸割符復活ののち定高(じょうだか)仕法へと移行するに至った。
[箭内健次]