朝日日本歴史人物事典 「希世霊彦」の解説
希世霊彦
生年:応永10(1403)
室町・戦国時代の代表的な五山文学僧。一説に死亡は長享3(1489)年。京都の人。別号は村庵。幼くして京都南禅寺善住庵に臨済宗大鑑派の斯文正宣に従い,細川満元の養子となった。8歳で足利義持に従って後小松天皇に拝謁,詩文を披露する。17歳で出家して江西竜 派,惟肖得巌に学び,五山の漢詩文を究めた。京都東山に聴松院を開創し,諸山よりの住職の要請を固辞し,終生,一介の黒衣の侍者位に甘んじたが,博覧強記で著書に『村庵藁』『蒲芽』『三体詩絶句鈔』などが存する。諡号は慧鑑明照禅師。<参考文献>今枝愛真「五山学芸史上に於ける希世霊彦の歴史的地位」(『国史学』54号),玉村竹二『五山禅僧伝記集成』
(佐藤秀孝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報