希世霊彦(読み)きせい・れいげん

朝日日本歴史人物事典 「希世霊彦」の解説

希世霊彦

没年:長享2.6.26(1488.8.3)
生年:応永10(1403)
室町・戦国時代の代表的な五山文学僧。一説に死亡は長享3(1489)年。京都の人。別号は村庵。幼くして京都南禅寺善住庵に臨済宗大鑑派の斯文正宣に従い,細川満元の養子となった。8歳で足利義持に従って後小松天皇に拝謁,詩文を披露する。17歳で出家して江西竜 派,惟肖得巌に学び,五山の漢詩文を究めた。京都東山に聴松院を開創し,諸山よりの住職の要請を固辞し,終生,一介の黒衣侍者位に甘んじたが,博覧強記で著書に『村庵藁』『蒲芽』『三体詩絶句鈔』などが存する。諡号は慧鑑明照禅師。<参考文献>今枝愛真「五山学芸史上に於ける希世霊彦の歴史的地位」(『国史学』54号),玉村竹二『五山禅僧伝記集成』

(佐藤秀孝)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「希世霊彦」の解説

希世霊彦 きせい-れいげん

1403-1488 室町時代の僧,五山文学者。
応永10年生まれ。臨済(りんざい)宗。京都の人。南禅寺の斯文(しぶん)正宣の法をつぎ,聴松院を開創。幼時から詩才をうたわれ,管領(かんれい)細川一族の庇護(ひご)をうける。終生官寺の住持とならず侍者の地位にとどまったが,席次は五山禅僧の最上位におかれた。長享2年6月26日死去。86歳。諡号(しごう)は慧鑑明照禅師。別号に村庵。著作に「村庵稿」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「希世霊彦」の意味・わかりやすい解説

希世霊彦
きせいれいげん

[生]応永10(1403).京都
[没]長享2(1488).6.26. 京都
室町時代前期の五山の臨済宗僧。村庵と号す。惟肖得巌 (いしょうとくがん) に学び,幼時から漢文誉れが高かった。出世を望まず,侍者の地位にとどまり学芸に心を尽した。諡号慧鑑明照禅師。主著に漢詩文集『村庵稿』『村庵集』がある。

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