後漢末の〈建安の七子〉(建安文学)と明代の〈前七子〉〈後七子〉が有名。前七子は明の弘治年間(1488-1505)に李東陽に抜擢(ばつてき)されて進士となり,正徳年間(1506-21)に北京で活躍した李夢陽(りぼうよう),何景明,王九思,辺貢,康海,徐禎卿,王廷相の7人の文人である。秦漢の文,盛唐の詩を文学の目標として,明の永楽年間(1403-24)以後の文壇の沈滞と低迷を打破した。その作風と文学論は,それぞれに特色があり,なかでも李夢陽と何景明の模擬と創作をめぐる論争は有名である。後七子は嘉靖年間(1522-66)に李夢陽の文学を継承して,模擬の文学を標榜した李攀竜(りはんりゆう)と,それに共鳴した王世貞,および謝榛,徐中行,宗臣,梁有誉,呉国倫をいう。前七子の李・何,後七子の李・王が有名で〈李何李王〉と併称する。両李は模擬を手段として古色蒼然たる作品を示し,何・王はそれぞれ,そのゆきすぎを是正する立場にある。とくに王世貞は晩年になって,中唐の白楽天,北宋の蘇東坡の文学に傾倒した。荻生徂徠は李攀竜を学んで,日本の古文辞派を開いた。
執筆者:横田 輝俊
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…そのあとが魚の卵に似るところからきた名称。魚子,七子,魶子とも書く。日本では760年(天平宝字4)の《造金堂所解》に〈魚子打工〉の名称が見られるのが,文献では最古の例である。…
※「七子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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