七子(読み)シチシ(その他表記)Qī zǐ

デジタル大辞泉 「七子」の意味・読み・例文・類語

しち‐し【七子】

中国で、同じ時期流派を形成したり、親密だったりした七人文人の称。時代により、後漢建安七子前七子後七子などがある。

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精選版 日本国語大辞典 「七子」の意味・読み・例文・類語

しち‐し【七子】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 七人の子。
  3. ( 「子」は男子尊称 ) 七人の立派な人々。特に、竹林七賢をいう。
    1. [初出の実例]「晉朝澆季少浮風、七子超然不混同」(出典田氏家集(892頃)下・題竹林七賢図)

なな‐こ【七子】

  1. 〘 名詞 〙 近畿中国地方お手玉のこと。もと七個の小石で遊んだところからいう。ななこあそび。七つ子
    1. [初出の実例]「ななこ お手玉」(出典:大聖寺門跡現用語)

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改訂新版 世界大百科事典 「七子」の意味・わかりやすい解説

七子 (しちし)
Qī zǐ

後漢末の〈建安の七子〉(建安文学)と明代の〈前七子〉〈後七子〉が有名。前七子は明の弘治年間(1488-1505)に李東陽に抜擢(ばつてき)されて進士となり,正徳年間(1506-21)に北京で活躍した李夢陽(りぼうよう),何景明,王九思,辺貢,康海,徐禎卿,王廷相の7人の文人である。秦漢の文,盛唐の詩を文学の目標として,明の永楽年間(1403-24)以後文壇沈滞と低迷を打破した。その作風と文学論は,それぞれに特色があり,なかでも李夢陽と何景明の模擬と創作をめぐる論争は有名である。後七子は嘉靖年間(1522-66)に李夢陽の文学を継承して,模擬の文学を標榜した李攀竜(りはんりゆう)と,それに共鳴した王世貞,および謝榛,徐中行,宗臣,梁有誉,呉国倫をいう。前七子の李・何,後七子の李・王が有名で〈李何李王〉と併称する。両李は模擬を手段として古色蒼然たる作品を示し,何・王はそれぞれ,そのゆきすぎを是正する立場にある。とくに王世貞は晩年になって,中唐の白楽天,北宋の蘇東坡の文学に傾倒した。荻生徂徠は李攀竜を学んで,日本の古文辞派を開いた。
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普及版 字通 「七子」の読み・字形・画数・意味

【七子】しちし

建安の七子等。

字通「七」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の七子の言及

【魚々子】より

…そのあとが魚の卵に似るところからきた名称。魚子,七子,魶子とも書く。日本では760年(天平宝字4)の《造金堂所解》に〈魚子打工〉の名称が見られるのが,文献では最古の例である。…

※「七子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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