改訂新版 世界大百科事典 「帝国会議」の意味・わかりやすい解説
帝国会議 (ていこくかいぎ)
Imperial Conference
大英帝国内の本国および自治領などの代表が数年ごとに集まって開かれた会議。19世紀末帝国主義の進展に伴い,イギリスでは帝国内の経済的・軍事的結束の強化が課題とされた。1887年ビクトリア女王即位50年祝典に植民地代表がロンドンに参集したおり,本国政府が開催した第1回植民地会議がその前身である。自由討議による相互理解を目的に,決議は法的拘束力をもたないという原則がここで確立。第2回以降(1897,1902,07)は直轄植民地や保護領は除かれ,自治領のみで構成された。1907年帝国会議と改称。構成国は本国,カナダ,オーストラリア,南アフリカ,ニュージーランド,ニューファンドランドとなる。11年の第1回帝国会議の後,第1次世界大戦中,帝国戦時会議(1917)が招集され,帝国戦時内閣を組織。大戦後21年にインド,23年にアイルランド自由国が新たに参加。26年自治領の地位向上を反映し,構成諸国は王に対する忠誠により自由に連合する自治社会で,相互に対等で独立の自主権をもつと宣言した(1931年本国議会でウェストミンスター憲章として法制化)。30年世界恐慌対策が協議され,32年のオタワ帝国経済会議に引き継がれ,帝国特恵関税制度に基づく通商協定(オタワ協定)が成立,帝国経済ブロックが形成される。37年悪化する国際情勢下に軍事協力問題を討議したのを最後に,44年帝国会議はより非公式な連邦首相会議にとって代わられた。
→イギリス連邦
執筆者:池田 清
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報