植民地会議(読み)しょくみんちかいぎ(その他表記)Colonial Conference

日本大百科全書(ニッポニカ) 「植民地会議」の意味・わかりやすい解説

植民地会議
しょくみんちかいぎ
Colonial Conference

1880年代に西ヨーロッパの列強が競って植民地争奪戦に乗り出したとき、すでに世界各地に植民地を領有していたイギリスが、その紐帯(ちゅうたい)強化のための軍事的、財政的要請から、ほぼ定期的にロンドンで開催した会議。87年、ビクトリア女王即位50年を記念して開かれた第1回会議には、自治領、直轄植民地、保護領などの代表が一堂に会し、帝国の一体感を高める効果大であった。97年、同じく即位60年を記念した第2回会議では、植民相J・チェンバレンが、94年のオタワ植民地会議での自治領諸国の帝国特恵支持決議を受けて帝国関税同盟構想を出し、自治領側の防衛費負担などを要求したが拒絶された。1902年、エドワード7世即位に際しての第3回会議では、自治領側が、既存関税を前提とする帝国特恵を強く要請した。本国側の要求はほとんど受け入れられなかった。唯一の成果として、以後5年目ごとに定期的に会議をもつことになった。その最初の07年の会議では、会議の構成を本国の首相・植民相、自治領諸国首相とし、常設事務局を設置し、その後は名称をイギリス帝国会議とすることを決めた。

[石井摩耶子]

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旺文社世界史事典 三訂版 「植民地会議」の解説

植民地会議
しょくみんちかいぎ
Colonial Conference

イギリス本国と自治領間の結束強化を目的とした会議
1887年に第1回,以後97年,1902年に開催され,07年以後帝国会議改称。19世紀末以後の帝国主義段階に対処して帝国結合の強化を企てたもの。議長は本国首相。参加国政府は平等の発言権をもち,帝国間の国防,関税その他の諸問題を討議。帝国会議は1947年からイギリス連邦会議と改称された。

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世界大百科事典(旧版)内の植民地会議の言及

【帝国会議】より

…19世紀末帝国主義の進展に伴い,イギリスでは帝国内の経済的・軍事的結束の強化が課題とされた。1887年ビクトリア女王即位50年祝典に植民地代表がロンドンに参集したおり,本国政府が開催した第1回植民地会議がその前身である。自由討議による相互理解を目的に,決議は法的拘束力をもたないという原則がここで確立。…

※「植民地会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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