常光村(読み)つねみつむら

日本歴史地名大系 「常光村」の解説

常光村
つねみつむら

[現在地名]三和町常光

小畠こばたけ村の西方南部に接し、東は亀石かめいし村、西はかみ村に挟まれた南北に細長い小村。東・南・西は丘陵に囲まれ、北へ向かって開いた谷あいに集落が形成される。中世志摩利しまり庄に含まれ、村名は名田の名を引継いだものであろう。村域内に重藤しげとう地名があるが、明応四年(一四九五)一二月二九日付室町幕府奉行人連署奉書(前田家所蔵文書)に「御料所備後国志摩利庄地頭職内公文名号是恒三郎丸本役分事、近年齢阿令難渋之、剰三名延末行里重藤(下略)」とみえるものか。

常光村
じようこうむら

[現在地名]浜松市常光町

富田とみた村の北東、天竜川右岸に位置し、天竜川支流の豊田川が合流する。浄光とも記され、豊田郡に属する。松平忠頼領郷村帳では高九五石余、畑一二町七反余。元和五年(一六一九)の池田川西代官所高帳には常光新田とみえる。正保郷帳では浄光村として田四一石余・畑五四石余、幕府領と浜松藩領。国立史料館本元禄郷帳、享保郷村高帳、旧高旧領取調帳いずれも幕府領と浜松藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報