平価調整(読み)へいかちょうせい(英語表記)parity adjustment

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

平価調整
へいかちょうせい
parity adjustment

為替(かわせ)平価の切下げdevaluationまたは切上げrevaluationによって、適正と思われる水準に平価を調整すること。平価とは一国通貨と金または外国通貨の価値の比率である。金本位制時代には関係通貨の含有金量によって決まる金平価であり、金の含有量は法定されていたから法定平価であった。法定平価は金貨の改鋳がない限り不変であったから、平価調整の必要は認められなかった。平価調整が行われるようになったのは金本位制崩壊後のことであり、とくに第二次世界大戦後に誕生した国際通貨基金(IMF)体制のもとにおいてである。
 IMF協定によれば、加盟国は自国通貨価値を金または米ドルで表示し(IMF平価という)、それを遵守することを義務づけられた。ただし、このIMF平価は金本位制のように絶対的に固定ではなく、加盟国の国際収支が基礎的不均衡に陥った際には、IMFの承認を得て変更できることになっていた。このような制度を調整可能釘(くぎ)付け相場制adjustable pegging rate systemとよぶ。平価調整のねらいは、その国の対外競争力を価格の面で適正に調整することにある。対外競争力が強すぎたり弱すぎたりして国際収支が慢性的に不均衡に陥った際には、為替相場の中心点となる平価を変更して輸出入価格を変え、それによって輸出入をバランスさせるのが目的である。
 戦後行われた平価調整のおもな事例として、まず1949年のイギリスの平価切下げがあげられる。当時イギリスをはじめ西欧諸国は経済復興過程にあったため、対米貿易収支は巨額の赤字となり、ドル不足の状態にあった。この危機を乗り切り復興の契機をつかむため、イギリスは1ポンド=4.03ドルの平価を2.80ドルへ切り下げ(33.3%)、他の西欧諸通貨もほとんどがこれに追随した。1950年代は小康状態を保ったが、1960年代には、強い通貨となった旧西ドイツ・マルクが1961年に5%の切上げ、1967年秋にポンドの二度目の切下げ(1ポンド=2.80ドルから2.40ドルへ)、1969年に仏フランの切下げ、マルクの二度目の切上げなどが相次いだ。1971年12月のスミソニアン協定では、戦後不動であったドルが平価の切下げを行い(金1オンス=35ドルから38ドルへ金価格引上げの形をとった)、円の切上げ(1ドル=360円から308円へ16.88%)、マルクの切上げなど、平価の多角的調整が行われた。その後1973年2月にドルは二度目の平価切下げを行った(金1オンス=42.22ドル)。変動為替相場制移行後は平価概念が使われないので、平価調整という用語も使用されなくなった。[土屋六郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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