平沢良遺跡(読み)ひらぞうらいせき

日本歴史地名大系 「平沢良遺跡」の解説

平沢良遺跡
ひらぞうらいせき

[現在地名]伊万里市二里町大里甲字平沢良

こし岳の北西麓に所在する杢路寺もくろじ古墳の墳丘下の赤褐色土層中から発見された先縄文遺跡。昭和三六年(一九六一)発掘調査。台地の灰色土層直下の厚さ三〇―六〇センチの赤褐色ローム質土層の表面下一〇―三〇センチの間から次のような石器出土

加工すれば十分に石刃ができ、そのままでも石刃として使用できる石刃用剥片石器三三(一個は玄武岩製、ほかは全部黒曜石製)ナイフ形石器五、台形様石器(剥片を横に用い、全体を台形に整形、横に刃部をつけ、剥部の反対側の側縁に柄のような基部を作り出した石器で、柄をつけてナイフとして使用したらしく、また鏃としても使用可能)一、錐器一、削器一五(縦形三、横形二、親指形三、扁平円形一、側縁の一部分にえぐったような湾曲する刃を付したえぐり刃形四、縦長剥片の右側縁の一部に刃を付した削器二)、尖頭器二(一は玄武岩製で、基部の両側にえぐりこみのある大型有柄尖頭器)石核一一三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「平沢良遺跡」の意味・わかりやすい解説

平沢良遺跡
ひらぞうらいせき

佐賀県伊万里(いまり)市二里町川東にある先土器時代の遺跡。1960年(昭和35)明治大学考古学研究室が九州における初めての発掘として調査し、ナイフ形石器を伴う石器群を確認している。遺物は厚さ60センチメートルほどの赤褐色ローム質土層に包まれ、その内容は、ナイフ形石器、台形石器、有茎尖頭器(ゆうけいせんとうき)、掻器(そうき)、削器(さっき)、そして多くの剥片(はくへん)、石核がある。平坦(へいたん)な打面をつくり、その片側縁から剥片を打ち取る石核は、「平沢良型石核」とよぶ特徴的なものである。

戸沢充則

『杉原荘介・戸沢充則「佐賀県伊万里市平沢良の石器文化」(『駿台史学』12所収・1962・明治大学駿台史学会)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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