平盛国(読み)たいらのもりくに

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平盛国」の意味・わかりやすい解説

平盛国
たいらのもりくに

[生]永久1(1113)
[没]文治2(1186).7.25. 鎌倉
平安時代末期の武将。下総守季衡 (すえひら) の7男。左衛門尉,伊勢守。平清盛に仕えた。承安2 (1172) 年 10月,出家清盛が没したのは,京の九条河原口の盛国の家であった。源平の合戦 (→治承の内乱 ) に活躍したが,文治1 (85) 年壇ノ浦の合戦で敗れ,平宗盛とともに捕えられて鎌倉に護送され,岡崎義実身柄を預けられると,日夜無言,常に『法華経』に向っていたが,翌年断食して死んだ。

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関連語 内乱 治承

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平盛国」の解説

平盛国 たいらの-もりくに

1113-1186 平安時代後期の武将。
永久元年生まれ。平清盛の側近で保元(ほうげん)・平治(へいじ)の乱に活躍。元暦2年壇ノ浦の戦いで捕らえられ,平宗盛らと鎌倉におくられたが,文治2年7月25日断食して死んだといわれる。74歳。通称は主馬判官。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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