治承の内乱(読み)じしょうのないらん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

治承の内乱
じしょうのないらん

治承4 (1180) ~文治1 (85) 年における源平合戦を中心とする全国的争乱。単なる平氏と源氏の政権をめぐる抗争ではなく,古代から中世への変革を内包した内乱であると評価されている。平氏政権の独裁と専横がその極に達した治承4年5月,源頼政が後白河法皇の皇子以仁王を奉じて平氏討伐の兵をあげたが,敗死。これを契機として,諸国の反平氏勢力が挙兵し,全国は内乱状態となった。なかでも特に有力だったのは,伊豆に流されていた源義朝の第3子頼朝と,木曾の源義仲であった。頼朝は妻政子の父北条時政の援助を得て同年8月,平氏方の伊豆の目代山木判官兼隆を討ったが,石橋山の戦いで敗れ,安房に逃れた。その後,義家以来の源氏の恩を受けた豪族や平氏に不満をもつ武士が頼朝のもとに集り,鎌倉に本拠を構えた。これを知った平氏は清盛の嫡孫維盛を大将として,討伐の軍を下したが,富士川の対戦 (→富士川の戦い ) で戦わずに敗走し,一方義仲が越後,越前を平定して (→礪波山〈となみやま〉の戦い ) 京都に入ると,平氏は安徳天皇を奉じて京都を脱出し,西海に逃れた。京都での専横なふるまいの顕著な義仲と対立した後白河院は頼朝に義仲追討を命じ,頼朝は弟の範頼,義経を上京させて義仲を討ち,さらに平氏を攻め,一ノ谷の戦い屋島の戦いを経て,元暦2 (85) 年3月についに長門の壇ノ浦で平氏一門を滅亡させた (→壇ノ浦の合戦 ) 。この内乱の過程で頼朝による武家独自の政権が,鎌倉に創設された。

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