平維茂(読み)タイラノコレモチ

デジタル大辞泉 「平維茂」の意味・読み・例文・類語

たいら‐の‐これもち〔たひら‐〕【平維茂】

平安中期の武将。叔父貞盛養子となったが最年少で、順位が15番目にあたり、世に余五とよばれた。山城の鬼女退治など武勇伝説がある。余五将軍生没年未詳。

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精選版 日本国語大辞典 「平維茂」の意味・読み・例文・類語

たいら‐の‐これもち【平維茂】

  1. 平安中期の武将。兼忠の子。貞盛の一五男として養子になったため余五将軍といわれた。陸奥の豪族藤原諸任との合戦や、山城の鬼女退治などの武勇伝がある。生没年不詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「平維茂」の意味・わかりやすい解説

平維茂 (たいらのこれもち)

平安時代前期の武将。生没年不詳。桓武平氏平国香の次子繁盛の孫。兼忠の子。平貞盛の十五男として養子になったので,のちに余五将軍とよばれた。従五位上に叙し,信濃守,出羽介に任じ,陸奥国に所領をもち本拠とした。みずからは鎮守府将軍を称した。《今昔物語集》に藤原秀郷の孫諸任と合戦する維茂の話がある。維茂の子出羽介繁茂は,のちの越後城氏の祖となった。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平維茂」の解説

平維茂 たいらの-これもち

?-? 平安時代中期の武人
平兼忠の子。平貞盛の15男として養子にはいり余五(よご)将軍とよばれた。貞盛の陸奥(むつ)での勢力をつぎ,11世紀はじめごろ豪族藤原諸任(もろとう)を討ち,鎮守府将軍となった。信仰心あつく,源信に帰依(きえ)した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平維茂」の意味・わかりやすい解説

平維茂
たいらのこれもち

平安時代中期の武将。陸奥守繁盛の子。叔父貞盛の養子となり,のちみずから鎮守府将軍と号したので,「余五将軍」と呼ばれた。信濃守,出羽介を歴任。藤原師種を滅ぼしてから,その威名があがった。その武勇談は『今昔物語集』などにみえる。

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世界大百科事典(旧版)内の平維茂の言及

【紅葉狩】より

…シテは戸隠(とがくし)山の鬼神。平維茂(たいらのこれもち)(ワキ)は信濃の戸隠山に鹿狩に出かけ,紅葉狩を楽しむ美しい女性たち(前ジテ・ツレ)の一行を見かける。誘われるままにその酒宴の席に加わった維茂は,杯を手にして女の舞に見とれているうちに眠りにおちいる(〈クセ・序ノ舞(または中ノ舞)・急ノ舞〉)。…

※「平維茂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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