年行司とも。中世~近世の水平的共同体・共同組織において1年交代で勤める総代・代表者。早く仏教の教団では,組織運営にあたる月当番の月(がち)行事とともに,年当番を年行事とよぶ慣例があった。中世から村や町でも同様な組織運営がみられ,近世ではさらに多様な仲間や組合にもおかれた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…一般に対等の関係によって構成される自立性の強い自治組織において,町年寄・年行司らの上級執行機関の命令のもとに,日常的な管理や事務にあたる下級執行機関という性格であったといえる。【乾 宏巳】
[年行事]
《日葡辞書》には〈Nenguiŏji 1年の間つとめる役人〉とある。《京都御役所向大概覚書》に〈中座之儀洛中町々之年行事交替罷出,鉄棒引,囚人縄取いたし候処,中古以来,年行事共より給銀出し,年行事役中座九人ニ而相勤候,壱人ニ付給銀一日壱匁〉と規定され,江戸時代の京都において,洛中の町々が輪番で牢屋敷警備などの役を務めていたが,複数の年行事が給銀を支払って中座9人にその役務を代行させていたことがわかる。…
…幕末の〈東海道宿村大概帳〉によれば宿内(安倍川,毛皮両町を除く駿府惣町)人別1万4071人,家数3673戸であった。町政は駿府町奉行の下に年行事が担当。はじめは駿府商人頭友野氏が町年寄として町政にあたったが,明暦(1655‐58)以後各町の丁頭が年行事と呼ばれた。…
…月行事は年頭に将軍らに拝礼したほか,町入費を町々に割りかける〈大割(勘定)寄合〉を催し,公武衆からは〈上下京宿老〉(《言継卿記》)などとも呼ばれた。初期町組の自治機能は撰銭令(えりぜにれい)違犯者検断など一定の犯科処罰権を伴う強固なものであったが,京都所司代の成立など幕藩権力支配の強化につれてしだいに形骸化し,執行組織も整備されて,年行事(下京では座上)と月行事(下京では月当番)が置かれた。年行事は所司代,東西町奉行への年頭拝礼,就任拝礼,夫銀(ぶぎん)などの納入,町入費の徴収などを行い,月行事は町への触(ふれ)の伝達や臨時入費,勧化奉納金などの徴収などを行ったという。…
※「年行事」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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