幸宣佳(読み)コウ ノブヨシ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「幸宣佳」の解説

幸 宣佳
コウ ノブヨシ


職業
能楽囃子方(幸流小鼓方)

専門
小鼓

肩書
重要無形文化財保持者(能囃子方・小鼓)〔昭和49年〕

本名
幸 靖二(コウ ヤスジ)

旧名・旧姓
小早川 靖二

生年月日
明治29年 1月11日

出生地
熊本県

学歴
東京音楽学校能楽囃子科卒

経歴
和泉流狂言方・小早川精太郎の二男に生まれる。明治39年上京、東京音楽学校邦楽科に入学。40年三須錦吾の門に入り、12歳で初舞台。その後三須平司、幸祥光師事。池内信嘉主宰の能楽会に入り、大正元年東京音楽学校に能楽囃子科が設けられ、同校へ移籍。13年能楽を離れ、宮本家へ入り上海へ渡って敗戦まで滞在した。戦後小早川姓に戻って能楽界に復帰、昭和26年福岡県小郡市に移り、能楽協会九州三役会会長を務めた。34年16代目幸流宗家・幸祥光の推挙で宗家分家幸信吉家を継ぎ、幸宣佳を名乗る。32年日本能楽会会員となり、49年人間国宝の認定を受けた。

没年月日
昭和52年 9月6日 (1977年)

家族
父=小早川 精太郎(和泉流狂言方)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「幸宣佳」の解説

幸 宣佳
コウ ノブヨシ

昭和期の能楽囃子方(幸流小鼓方)



生年
明治29(1896)年1月11日

没年
昭和52(1977)年9月6日

出生地
熊本県

本名
幸 靖二(コウ ヤスジ)

旧姓(旧名)
小早川 靖二

学歴〔年〕
東京音楽学校能楽囃子科卒

経歴
明治39年上京、三須錦吾の門に入り40年初舞台。その後三須平司、幸祥光に師事。池内信嘉主宰の能楽会に入り、大正元年東京音楽学校に能楽囃子科が設けられ、同校へ移籍。13年能楽を離れ、宮本家へ入り上海へ渡って敗戦まで滞在した。戦後小早川姓に戻って能楽界に復帰、昭和26年福岡へ移った。34年16代目幸流宗家・幸祥光の推挙で宗家分家幸信吉家を継ぎ、幸宣佳を名乗る。32年日本能楽会会員となり、49年人間国宝の認定を受けた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「幸宣佳」の意味・わかりやすい解説

幸宣佳
こうのぶよし
(1896―1977)

能楽師。幸(こう)流小鼓(こつづみ)方。熊本生まれ。和泉(いずみ)流狂言方の小早川精太郎の次男本名靖二(せいじ)。1906年(明治39)上京、三須錦吾(みすきんご)に入門。翌年初舞台。のち三須平司、幸祥光(よしみつ)に師事。しかし24年(大正13)斯道(しどう)を離れ、宮本家へ入って上海(シャンハイ)へ渡り、一時帰国して舞台を勤めたこともあるが、第二次世界大戦敗戦まで同地に住んだ。戦後帰国し小早川姓に戻って斯道に復帰、51年(昭和26)より福岡に定住。58年幸流分家、信吉家を継承して幸宣佳を名のる。74年重要無形文化財保持者に認定。天分に恵まれ、中年までは鋭い芸質であったが、晩年は滋味あふれる境地に達した。

[小林 責]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「幸宣佳」の解説

幸宣佳 こう-のぶよし

1896-1977 昭和時代の能楽師小鼓(こつづみ)方。
明治29年1月11日生まれ。小早川精太郎の次男。幸流の三須錦吾(みす-きんご),幸祥光(よしみつ)らに師事。大正13年上海にわたる。戦後帰国し,能楽協会九州三役会会長をつとめる。昭和34年幸信吉家をついだ。49年人間国宝。昭和52年9月6日死去。81歳。熊本県出身。東京音楽学校(現東京芸大)卒。本名は靖二。

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