広八幡神社
ひろはちまんじんじや
[現在地名]広川町上中野
上中野の北部にあり、社殿は樹木の茂る小山を背景に西面する。祭神誉田別神・気長足姫命・足仲津彦命。旧村社。中世には広荘の総鎮守であったと思われ、江戸時代には広・中野・名島・中・柳瀬・殿・金屋の七ヵ村の産土神。「続風土記」は境内末社として若宮・多賀・加茂社、熊野権現社、弁財天社、住吉・稲荷・祇園社、高良明神社、熱田・浜宮社、梅宮、覚言社を記し、真言宗古義勧修寺(現京都市山科区)末明王院・薬師院があって社僧を勤めたという。明王院は現存して和宗に属する。
現和歌山県由良町の蓮専寺の記録に「正嘉二年八月五日広八幡神社焼失」とあり、鎌倉時代には存在していたことがうかがえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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