広八幡神社(読み)ひろはちまんじんじや

日本歴史地名大系 「広八幡神社」の解説

広八幡神社
ひろはちまんじんじや

[現在地名]広川町上中野

上中野かみなかのの北部にあり、社殿樹木の茂る小山を背景に西面する。祭神誉田別ほんだわけ神・気長足姫おきながたらしひめ命・足仲津彦たらしなかつひこ命。旧村社。中世には広荘の総鎮守であったと思われ、江戸時代には広・中野・名島なしまなか柳瀬やなせ殿との金屋かなやの七ヵ村の産土神。「続風土記」は境内末社として若宮多賀・加茂社、熊野権現社、弁財天社、住吉稲荷・祇園社、高良こうら明神社、熱田・浜宮社、梅宮覚言かくげん社を記し、真言宗古義勧修かじゆう(現京都市山科区)明王みようおう院・薬師院があって社僧を勤めたという。明王院は現存して和宗に属する。

現和歌山県由良ゆら町の蓮専れんせん寺の記録に「正嘉二年八月五日広八幡神社焼失」とあり、鎌倉時代には存在していたことがうかがえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む