広岡浅子(読み)ヒロオカアサコ

デジタル大辞泉 「広岡浅子」の意味・読み・例文・類語

ひろおか‐あさこ〔ひろをか‐〕【広岡浅子】

[1849~1919]実業家京都の生まれ。豪商三井家の四女で、17歳のとき大阪の広岡信五郎と結婚維新後は実業界に入り、炭鉱経営や銀行設立などに携わった。日本女子大学校(現日本女子大学)設立など、女子教育推進婦人運動にも尽力。

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知恵蔵 「広岡浅子」の解説

広岡浅子

明治時代の女性実業家。1849年10月18日に京都市内の商家に生まれ、大阪の豪商・加島屋に嫁ぎ、明治維新後の経済混乱期に商才を発揮した。その後、加島銀行の設立や炭鉱事業進出、大同生命の創業に携わった。また、日本女子大の創設に尽力し、御殿場・二の岡の別荘で毎年夏に勉強会を開催するなど、女性教育に貢献した。1919年1月14日に腎臓炎のため69歳で死去
浅子の生家は豪商・出水三井家(後の小石川三井家)で、数え年17歳の時に加島屋・広岡信五郎と結婚した。諸藩を主な取引先としていた加島屋は、明治維新によって家業が傾いたが、浅子の奮闘により持ち直した。その後、1884年に福岡県飯塚市にあった潤野炭鉱を買い取って経営、当初は十分な産出量を得られなかったが、再開発の指揮を執り、成功を収めた。炭鉱経営に携わった時期には、ピストルを懐に忍ばせ、現場で男性と渡り合いながら働いたという逸話が残っている。また、88年に加島銀行を設立し、1902年には大同生命の創業に参加するなど、明治時代において、その事業手腕を発揮した。
教育者としては、梅花女学校校長である成瀬仁蔵に請われて、広岡家、実家の三井家はもちろん、政財界から寄付を募り、日本で最初の女子大学校となる日本女子大の創設を支援した。また、1914年から17年まで浅子が主宰した若い女性を対象とする講習会には多くの逸材が集まり、女性参政権獲得運動に生涯をささげた市川房枝や、翻訳家・作家として『赤毛のアン』など多くの作品を生んだ村岡花子などを輩出した。
浅子は、七転び八起き以上にあきらめなかったとの意から、「九転十起生」というペンネームを用いたとされており、週刊新聞「基督教世界」に自身の宗教的な心情などを寄稿した。亡くなる1年前の1918年には前出の原稿に自伝を加筆して『一週一信』という書籍を著した。
2015年9月28日にスタートしたNHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」は、浅子の生涯がモデルであり、ヒロインを波瑠が演じている。ドラマの原案は1988年発表の『小説 土佐堀川』(古川智映子著、潮出版社)である。

(若林朋子 ライター/2015年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

20世紀日本人名事典 「広岡浅子」の解説

広岡 浅子
ヒロオカ アサコ

明治・大正期の実業家 加島銀行創業者;大同生命保険創業者。



生年
嘉永2年9月3日(1849年)

没年
大正8(1919)年1月14日

出生地
京都・油小路出水

旧姓(旧名)
三井

経歴
三井高益の四女に生まれ、17歳で大阪の豪商加島屋広岡信五郎と結婚。維新に際し家運が傾きかけたため、単身上京して諸侯御用金の整理に成功したのをはじめ、店務を総轄、実業界に入る。鉱山、銀行の経営にあたり、明治21年加島銀行、35年大同生命創業に参画。夫没後、女婿の恵三に事業を譲る。また女子教育事業に尽力し、日本女子大学創立の際成瀬仁蔵を助けて、最初の後援者となった。44年受洗、晩年は宗教活動に従事し、38年日本キリスト教女子青年会(YWCA)創立中央委員、大正7年大阪YWCA創立準備委員長をつとめた。著書に「一週一信」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

知恵蔵mini 「広岡浅子」の解説

広岡浅子

日本の実業家、教育者、社会活動家。1849年10月18日、山城国京都(現・京都府京都市)の豪商・三井高益の4女として生まれる。67年、17歳で大坂の豪商「加島屋」の次男・広岡信五郎に嫁いだ。同年11月の大政奉還により、加島屋は大名への貸し金総額900万両(4500億円相当)を無にするところだったが、浅子は諸藩に出向き返済を迫ったという。明治維新の動乱期からは実業家として尽力、鉱山の再建に携わり、加島銀行や大同生命も創業、加島屋を財閥に育て上げた。教育者としても力を注ぎ、大阪に梅花女学校を設立していた成瀬仁蔵らと各界の有力者に働きかけ、1901年に東京都文京区目白台に「日本女子大学校」(現日本女子大学)を設立させた。02年に夫が死去すると、一人娘に養子を迎え実業界から引退。11年、洗礼を受け日本キリスト教中央委員となり、遊郭の女性救出を始めとした社会活動を行う。19年1月14日、死去。享年70。15年1月、浅子を主人公とした『小説 土佐堀川―女性実業家・広岡浅子の生涯』(古川智映子著、潮出版社)を原案とし、NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」が同年後期より放映されることが発表された。

(2015-1-19)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

朝日日本歴史人物事典 「広岡浅子」の解説

広岡浅子

没年:大正8.1.14(1919)
生年:嘉永2.9.3(1849.10.18)
明治大正期の実業家。京都油之小路出水の三井家に生まれる。三井小石川家6代三井高益の4女。17歳で大坂の富豪加島屋(米問屋兼両替商)広岡信五郎と結婚。20歳で維新の動乱にあい,傾く家業の挽回をはかるため,実業界に入る。家業の筑前潤野炭坑の経営に当たっては護身用のピストルを懐に坑夫らと起き伏しを共にしたという。明治21(1888)年加島銀行設立,経営に参加。35年大同生命創業に参画。29年成瀬仁蔵著『女子教育』に共感し日本女子大学校創立発起人となり同校の開校に尽力し,その後も評議員として援助を続けた。34年愛国婦人会評議員となり大阪支部授産事業に尽力。44年大阪教会で受洗。翌45年から没するまで,日本YWCA中央委員を務めた。活躍の舞台は財界,教育界,婦人界におよんだ。晩年の著書に自叙伝を緒言とした『一週一信』がある。<参考文献>『大同生命70年史』

(高橋阿津美)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「広岡浅子」の解説

広岡浅子 ひろおか-あさこ

1849-1919 明治-大正時代の実業家。
嘉永(かえい)2年9月3日生まれ。三井高益の4女。17歳で大坂の富豪加島屋(かじまや)広岡信五郎と結婚。維新後は実業界にはいり,鉱山を経営。加島銀行設立,大同生命の創業にくわわった。日本女子大の創立にもつくした。晩年に受洗。日本YWCA中央委員。大正8年1月14日死去。71歳。京都出身。

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367日誕生日大事典 「広岡浅子」の解説

広岡 浅子 (ひろおか あさこ)

生年月日:1849年9月3日
明治時代;大正時代の実業家
1919年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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