広徳館跡(読み)こうとくかんあと

日本歴史地名大系 「広徳館跡」の解説

広徳館跡
こうとくかんあと

[現在地名]富山市桜木町

富山城内に設置された富山藩の藩校。当初総曲輪そうがわ付近に設けられ、旧富山藩広徳館略絵図(前田家文書)によると地面坪数二千七二九坪ほど、建物総坪数四一二坪ほどで、塀に囲まれた中に塾舎・文学館・演武館などがあった。文化七年(一八一〇)城中三の丸に移転した(「諸芸雑誌」同文書)。安永二年(一七七三)、富山藩は藩財政の逼迫、累積する借財返還などの経済事情を転換するため、藩政改革を推進することとしたが、それに必要な人材を育成するにあたって学問を奨励するため設置された。

〔藩学の学統〕

富山藩の学問奨励は、二代藩主前田正甫によって端緒が開かれた。正甫は藩祖利次の後を受けて、武術とともに文教儀礼を振興するため、京都より儒学者南部草寿を招き、次いで小笠原流礼法家吉川仲次、さらに儒者兼医者たる杏一洞を長崎より招いている。その後、広徳館の創立まで、南部草寿に加え同景衡(南山)・同景春の南部三代、杏一洞・同三折父子を招いたほか、江戸において五代藩主前田利幸のとき,朱子学者大野竹瑞・松岡好山・藤沼衡山を儒学者として、六代藩主前田利与のとき徂徠学派の佐伯北溟を儒官として召抱えた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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