広瀬善順(読み)ヒロセ ゼンジュン

20世紀日本人名事典 「広瀬善順」の解説

広瀬 善順
ヒロセ ゼンジュン

大正・昭和期の尼僧 元・直指庵(京都・嵯峨野)庵主



生年
明治33(1900)年4月23日

没年
昭和59(1984)年3月31日

出生地
京都府京都市右京区

本名
広瀬 はな

経歴
大正4年15歳の時、京都市上京区の光照院得度。京都や岐阜の寺で修行後、昭和16年から京都府宇治田原の阿弥陀寺住職を20年間務める。37年嵯峨野の直指(じきし)庵主に。同庵を訪れる人たちの悩みをつづるノート「想い出草」を置いたところ、これが若い女性たちに大受けし、同庵は京都の“駆け込み寺”として一躍有名になった。また「想い出草」は6000冊を超え、出版されてベストセラーとなる。55年直指庵を退いた後、京都・洛西に住宅を購入して長教寺とし、女性や老人の相談を続けた。著書自伝陽炎の記」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「広瀬善順」の解説

広瀬善順 ひろせ-ぜんじゅん

1900-1984 大正-昭和時代の尼僧。
明治33年4月23日生まれ。浄土宗。15歳で得度,京都や岐阜の寺で修行。昭和37年京都嵯峨野の直指(じきし)庵の庵主となる。庵をおとずれた人の悩みの相談にのり同庵は「駆け込み寺」として知られる。また来訪者が悩みを自由にかいたノート「想い出草」が出版された。昭和59年3月31日死去。83歳。京都出身。俗名ははな。著作に「陽炎(かげろう)の記」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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