広田庄(読み)ひろたのしよう

日本歴史地名大系 「広田庄」の解説

広田庄
ひろたのしよう

みどり町東端の広田地区を遺称地とし、同所から東方現洲本市西端金屋かなや大野おおの池内いけのうちなどにかけての地に比定される。「和名抄」所載の津名つな広田郷の地に成立したとみられる。寿永三年(元暦元年、一一八四)四月二八日、源頼朝から摂津国広田社(現西宮市)に、平家征討の無事を祈祷させるため「淡路国広田領壱所」が寄進され、広田社領広田庄が成立した(「源頼朝寄進状案」広田神社文書、「吾妻鏡」同日条)。同年淡路島周辺の平家勢力に対抗するため、淡路にあった梶原景時郎従が当庄に乱入する事件が起こり、一〇月二七日に頼朝によって社領の保護が命じられた(「源頼朝書状案」広田神社文書、「吾妻鏡」同日条)


広田庄
ひろたのしよう

現在の木次町内にあったと考えられる中世の庄園。文永八年(一二七一)一一月日の杵築大社三月会相撲舞頭役結番帳の一〇番に「広田庄廿五丁」とあり、地頭として品河弥三郎の名がみえる。建武四年(一三三七)には光厳上皇により京都仁和寺領である当庄に対する悪党濫妨を止め、管領を全うするようにとの命令が発せられている(同年八月二八日「光厳上皇院宣」仁和寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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