康俊(読み)こうしゅん

改訂新版 世界大百科事典 「康俊」の意味・わかりやすい解説

康俊 (こうしゅん)

鎌倉末~南北朝期の慶派仏師生没年不詳。南都興福寺大仏師として1358年(延文3)までに法印となり,晩年には東寺大仏師を称した。1315年(正和4)の奈良長弓寺宝光院の地蔵立像から69年(応安2)兵庫福祥寺不動明王像まで十数体の像を造立。彼の作はほとんどが九州や岡山,兵庫など西日本に所在する。作風は形式化しているが,なお慶派の伝統をとどめ,大分永興寺四天王像のような復古的な作も造っている。彼は南朝の護持僧として知られる醍醐報恩院の文観と関係が深く,般若寺文殊菩薩像(1324)は文観の発願になる。彼の子康成も吉野金峯山寺金剛力士,薬師如来像を造るなど,康俊父子は同時代の七条西仏所の康誉足利氏と結びついていたのと好対象をなしている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「康俊」の解説

康俊 こうしゅん

?-? 鎌倉-南北朝時代の仏師。
運慶の6男運助の子といわれる。慶派の正流をつぎ,南都興福寺大仏師と称す。正和(しょうわ)(1312-17)のころから奈良を中心に活躍した。遺作は京都浄瑠璃(じょうるり)寺の不動三尊像や,大分永興寺の持国天像・広目天像など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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